聖書研究
— 救いについて(14) —
野澤 睦雄
「イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」」(ヨハネ 3:3)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ 3:16)
2.救いに関して知っておくべきこと
・新生と永遠のいのち
罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じると、「罪が赦され」、「新しく生まれる」恵みに与ります。人が生まれるときと同じで、自分で生まれるのではありません。生んで頂くのです。それは、「生まれ変わる」のではなく、「新しく生まれる」のです。生まれ変わるということばがよく使われてきましたから、間違いませんように。決して生まれ変わるのではありません。
新しく生まれるのですから、「新生」と言われます。
罪が赦されると、犯した罪はなかったものとして数えられ、罪のないもの=義しいものと変えられます。それで罪の赦しを「義認」といいます。
「義認」と「新生」は、決して分離せず、救われるという一つの霊的経験として与えられます。
過去の罪は赦免ですが、現在生きていく場面では罪を犯さずに生きるのです。罪を犯しながら生き、キリストの義の衣を着て、義と見なされ続けるのだなどと決して言いませんように。そんなことはありえません。義とされたひとは罪を犯してはならないのです。それでも「万一、罪に陥ってしまったら」、ということがあるかもしれません。その場合ははじめにもどって、直ちに悔い改め、義に帰らせていただかなければなりません。
イエスはニコデモに、「新しく生まれる」ことと、それは「聖霊によって生まれる」のであることを話されました。つまり人に新生を与える実行者は「聖霊」であることです。
更に、それが与えられるために、イエスが身代わりの死を遂げられることを話されました。その内容が、
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」
(ヨハネ 3:14)
で、イエスは自分の十字架の死が、モーセが荒野で掲げた蛇の像がその象徴であることを示されたのです。
そして、新生のいのちが「神の国で永遠にいきるいのち」であることを言われました。
「 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:15-16)