同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(15) —

野澤 睦雄


「(ピリピで)私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。 彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫び続けた。」(使徒 16:16-17)

2.救いに関して知っておくべきこと

 ・贖罪、信仰と悔い改め

 私達が救われるのは、イエス・キリストの十字架の死による贖いによるのです。それを「贖罪」と呼んでいます。
罪の行いも、逆の善行すなわち良い行いもいっさい関係ありません。唯々十字架の「贖罪」によるのです。
「ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。 また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」(ルカ 13:1-5)
イエスは「悔い改めなければ」と言われましたが、言外にご自分がこれからなす「十字架の贖罪に与らなければ」という意味が含まれています。

 贖罪に与るために必要なことは「信仰」のみです。
「悔い改め」によるのではありません。それなのに「悔い改めなさい」と言われるのはどういうことでしょうか。
繰り返し強調してきましたが、「悔い改める」と「信じることができる」からです。
「悔い改めて信じなさい。」
そこに「救いの道」があります。私達が救いの恵みに与るのは、悔い改めによるのではありません、信仰によるのですと強調する必要はありません。
 信仰といいますが、何を信じるのでしょうか。それは、聖書に書かれている約束のことばです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)
「私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(ヨハネⅠ1:9)  

(仙台聖泉キリスト教会員)