聖書研究
— 救いについて(25) —
野澤 睦雄
「さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 」(ヨハネ 3:1-6)
3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎
・神が人間のために備えられた救いに関する聖書の記述
<新生>
これまで述べてきたように、救いの恵みに与ると、まず罪が赦され義と認められ(義認)ます。それと同時に「新生」の恵みが与えられます。
新生を与えられた状態では、新しい自分(自我)と古い自分(自我=原罪、罪の性質、罪の根)がこころの内に共存します。きよめ(聖潔、聖化)の恵みを受けたとき古い自分はキリスト共に死んでその働きを止めます。
新生について考察します。
- 新生とは -
1) 新しく生まれること
古い自分が「生まれ変わる」のではありません。冒頭のみことばにイエスが言われたとおり「新しく生まれる」ことです。
イエスに新しく生まれると言われてニコデモの発想したことは「生まれ変わる」ことでした。「もう一度母の胎に入って」と彼はとてつもないことを考えました。
生まれるということは、新しいいのちをもつことです。
2) 新しく創造されること
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリントⅡ 5:17)
「大事なのは新しい創造です。」(ガラテヤ 6:15)
生まれるということは新しく造り出されることです。
3) 霊の世界で復活すること
堕落によって人間は霊的に死んだものとなりました。その死んだ人間が新しいいのちをもって復活するのです。
「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、・・・
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」(エペソ 2:1,5))
4) 神の子となること
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ 1:12)
「神の子」であるという大きな特権が与えられす。祈るとき「天にいます私たちの父よ」と言えるのはこの特権の故です。
- 新生して変わること -
1) 聖霊が心の内に住んでくださること
「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(コリントⅠ 3:16)
「キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」(ローマ 8:9)
聖霊を受けている本人が気づかないほど静かに、聖霊はこころの内に住んでいてくださいます。「信じる」ということを保てるのは聖霊のお働きです。
2) 新生のいのちに生きるひとは罪を犯さないこと
「子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行う者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。 罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。 だれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。」(ヨハネⅠ 3:7-9)
「神の種」とは「神のことば=聖書のことば」です。そして聖霊の助けがあります。
イエスを信じるひとは、世=悪魔にこころ許さない限り罪を犯さないのです。しかし悪魔の誘惑は執拗です。一時誘惑に負けることがあっても、ヨハネは「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。」(ヨハネⅠ 2:1)とキリストに立ち返る道も示しています。けれども罪を犯し続けるのではありません。
3) 神と神のことば(聖書)を信じ、神と神の子たち、教会とその働き人を愛すこと
「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。」(ヨハネⅠ 5:1)
新生の恵みに与ると、それまでと違って神と神のことばを信じ、神と教会とその働き人たち、兄弟たちを愛すようになります。