同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(22) —

野澤 睦雄


「ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」」(創世記 8:20-22)
「主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。 彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」(詩篇 14:2-3) 「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ 3:10)

3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎

 ・堕落した人間の姿に関する聖書の記述

<すべての人間の思いはかることは悪であること>
 人間の堕落の結果の続きになりますが、聖書がそれをどのように書いているか、拾ってみましょう。
 まず冒頭に掲げたみことばから言えることは、
 -- ひとの思いはかることははじめから悪であること
 -- それは一人の例外もなく、すべての人がそうであること
が読み取れます。すべての人が神の前に等しく罪人であって、誰かが特別だなどということはありません。

  <すべての人が律法の下にあって、その罪のために神に反論できないこと>
 この人間の罪の状態に対して、イエス・キリストの救いが備えられるのですが、そこの至る道として、神はまずイスラエルに律法をお与えになりました。
「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」(ガラテヤ 3:10)
「律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。」(ガラテヤ 3:12)

 文章となった律法を与えられなかったイスラエル以外の人々、異邦人、には、
「律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行いをする場合は、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。彼らはこのようにして、律法の命じる行いが彼らの心に書かれていることを示しています。」(ローマ 2:14)
自分のこころに書かれている律法があたえられました。
どちらの場合でも、「律法を行えば」義とされるのですが、だれもそれを行えませんでした。これはペテロのことばですが、
「なぜ、今あなたがたは、私たちの父祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、・・」(使徒 15:10)といって、律法を守り切れていないことを表現しています。
「律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。」(ヤコブ 2:10) 「律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。」(ローマ 2:12)
 それで、すべての人がさばかれ、滅びることになりました。

<神から生まれていないひとは、悪魔の子であること>
「罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。 だれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行わない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。」(ヨハネⅠ 3:8-10)

<救われていない人は、神の前にどのようなものとなっているか>(R.A.トーレイ:「聖書の教え」から一部引用)
1) 理性が暗くなり、無知で、心が頑固で、神のいのちから遠ざかっている。
「彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。」 (エペソ 4:18)
2) 救われていない人のこころは偽るもので、望みないまで病んでいる。
(冒頭に引用した聖句を参照)
3) 救われていないひとの知性、道徳性は罪によって堕落している。
「私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。」 (テトス 3:3)
4) 心の汚れを外的な生活によって、表している。また救われていないひとは、罪の律法に無知で、罪を犯している。
「罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。」 (ローマ 7:8)
5) 救われていない人は罪の奴隷である。
「私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。」(ローマ 7:14)
6) サタンの支配下にある。
「それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」(エペソ 2:2)

(仙台聖泉キリスト教会員)