同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 行間を読む —


「イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。」(マタイ 19:8)

 ほんの二三日前、テレビで歌手、ちあきなおみの特集を放映していました。歌のほか俳優としてや、バラエティー番組に出演、多才であったらしい。死別した夫の兄が俳優の宍戸錠であるとか。私は以前、世のはやり歌はあまり聞いていなかったのですが、
♪ いつものように幕が開き
  恋の歌うたうわたしに
  届いた知らせは、黒いふちどりが
          ありました・・・
と歌われているのが記憶に残っています。
その番組の中で作曲家古賀政男が彼女についてこう言っていました(古い録画です)。
「音符の裏に秘められている作曲家の思いを察知して歌ってくれる。」と。
 これは音楽の話ですが、文章に書かれたものについて、昔から「行間を読む」と言われ、ことわざになっています。
 それで、イエス・キリストが聖書をどのように読まれたのか考えさせられました。
「パリサイ人たちがみもとにやって来て、イエスを試みて、こう言った。「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」 イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」 彼らはイエスに言った。「では、モーセはなぜ、離婚状を渡して妻を離別せよ、と命じたのですか。」イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。」(マタイ 19:3-8)
 聖書にはモーセが離婚を許した理由が書かれていません。しかしイエスはそれをご存じでした。そして、重要な方、「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』」を掲げられました。
 私たちも聖書を読むとき、そこに記されているできごとは文字通りに読まなければいけませんが、文字の背後にある神のみ心を察知するものでありたいと思います。それは、ただ聖霊によることでしょう。
 ただし私たちは、聖書に書かれていないことを読み取ったなら、それを「推測」、「・・・かも知れない」という位置においておかなければなりません。