同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 救いについて(27) —

野澤 睦雄


「聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。 」(ローマ 4:3)

3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎

 ・神が人間のために備えられた救いに関する聖書の記述

<信仰>

 聖書を読んでいきますと、悔い改めも罪の赦しも新生の恵みも潔めの恵みも、また肉体の病気の癒やしやその他の様々な賜物も一切が「信仰」によって与えられることが分かります。
 真のキリスト教の救いの恵に与った信者なら、自分が信仰をもっていること、自分は確かに神を信じ、キリストを信じ、聖書を信じ、救われていることを知っています。

  - 信仰とは何か -

 ではその信仰とは何でしょうか?
 信じるということばは、提示されていることが真実である、そのとおりだと思うことにも使われますが、冒頭に掲げたみことばにある「アブラハムは神を信じた」その内容は、単にその通りだ、神が言われることは実現すると思っただけではありません。
 そのことをよく示している事例が、本誌第28号(2002年1月発行)に掲載されている石井はる姉の救いの証しにあります。
今はすでに天に帰られた方ですが、その一部を引用しましょう。
「・・・私は北五番丁にあった高等小学校を卒業し仙台電話局の交換手になりました。
 やがて職場の友だちに誘われて、青葉荘教会に行きました。当時植松先生という方が牧師をしておられました。引き続き教会に通いましたが、職場の勤務時間は大変不規則で同じ集会にいつも出席するわけにはいきませんでした。けれどもいろいろな集会がありました。友だちの中には、悔い改めをしたとか、罪が分かったとかいう方がいました。そして"救われました。"といってすっかり変わって行くのを見せられました。私にはどういうことか分かりませんでしたが、それを求めていました。
 一月ほど教会に通った、1931(昭和6)年5月18日に、職場の休憩時間に外を見ていたとき、造り主なる神様を本当に信じることができました。そのとき私は18歳でした。信じたら自分の罪が分かりました。・・」

 彼女のそのときの職場は2階にあって、下の道路を行き交う人を見ていただけなのだそうです。
アブラハム同様、彼女はそのとき「信仰」を持つひとになりました。
 持つと表現しましたがそれは、なにか「もの」を持っているようなものではないことは明らかです。

 もう一例取り挙げたいと思います。
 日常生活のすべての時間に、神の臨在のなかを生きることを許されたことで知られているブラザー・ローレンスと人の救いの証しです。 このひとの救いの証しは次のように記されています。
「ある冬の日、私は落葉して見るかげもない、一本の木を、見ながら、やがて春が来ると、その木に目が出て、花が咲き、実を結ぶ・・・、と思いめぐらしているうちに、いと高き神の摂理と力とを魂にはっきり写、深く刻みつけられました。そしてこの世のことはすっかりこころから消え去りました。この恵みを受けてから、もう四十年たちますが、その時ほど神への愛を強く感じたことはないと言えるかも知れません。」(ブラザー・ローレンス著、栗原督枝訳、CLC出版、1991,p8)

 自分やキリストを信じている兄弟姉妹の信仰、聖書の記事、それらを観察してこう結論できます。
「信仰は、私たち新約のキリスト者に、聖霊が新生のいのちの内につくられるこころの機能のひとつです。」
新生したひとのこころは、信仰だといってがんばらなくても、自然に信じていられます。
救いの恵みに与るとき、すなわち新生の前に救いの信仰を持つのですが、それは「聖霊の先行恩寵」によります。

  聖書に信仰についてたくさんの記述があり、たとえば、ヘブル人への手紙11章1節、
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
を「信仰の定義」だと錯覚するひとがいますがそれは誤りです。そこには「信仰はこういう働きをします。」と書いてあるだけなのです。

  - 信仰の働き -

 全部を網羅することはできませんが、信仰は以下のような働きをします。

1)救いに与らせる
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」 (エペソ 2:8)

2)神の子となる特権に与らせる
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ 1:12)

3)人のこころを潔める
「私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。」(使徒 15:9)

4)聖霊(キリストの霊)の内住に与らせる
「私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」(ガラテヤ 3:14)
「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ 1:27)

5)神の世界の知見を持たせる
「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブル11:3)
神がご覧になるように、世の中を見る能力です。

6) 神の約束の実現を信じる
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」 (ヘブル 11:6)
アブラハムの信仰の働きがこれに相当します。彼は神のお約束が実現すると信じました。
子孫についても、イサクの復活についても。

7)信仰は神のご命令への従順をもたらす
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」(ヘブル 11:8)

8)祈りの答えを信じる
「イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」」(マタイ 21:21-22)
「 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハネ 14:12-14)

9)思い煩いから解放する
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」 (ヨハネ 14:1)

(仙台聖泉キリスト教会員)