同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— ヨナタンの愛 —


「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(レビ記 19:18)
「ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。」(サムエル記Ⅰ 18:1)

 イエス・キリストが律法の中で一番大切なこととして、律法学者の質問にこう答えられました。
「律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」」(マルコ 12:28-31)

それで隣人を自分と同じように愛することが神を愛することに並んで大切であるとがキリスト者の間に行き渡りました。

 では、実際に自分と同じように隣人を愛した人物が書かれているか探すと、ただひとりヨナタンが書かれています。
聖書をくまなく探しても、直接そう書かれている人物は他にはいません。
 ヨナタンがダビデをどのように、どんなことをして、何を与えて愛したか聖書に書かれていることに興味が沸きます。
 「ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。」(サムエル記Ⅰ 18:4)
聖書は何も告げていませんが、ヨナタンの来ていた衣服、身につけていた武具は王子に相応しく、次に王位に就く人であることを象徴していたことでしょう。
ヨナタンは、ダビデがサムエルから既に次の王として油を注がれていたことを知らなかったでしょう。
けれども彼は、次の王としてダビデを迎えたのでした。
 父サウルがダビデを妬み、疑い、殺そうとしていることに対して、ダビデを弁護し、情報を与え、助け続けました。
 ヨナタンのダビデに対する「自分と同じように愛する愛」は、父サウルと一緒に戦死することにも表されていたのでしょう。

「あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。」(サムエル記Ⅱ1:26) ダビデのヨナタンのための哀歌です。

 ヨナタンの愛はキリストの私たちにたいする「自分と同じように愛する愛」を示しています。それはこの世の男女の愛にまさってすばらしいのです。