同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 信仰の整理 —

森田 初実


「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言 3:5-6)

 2023年になり、早、2ヶ月が過ぎました。年末年始にまとまった休みがあり、家の片付けをしました。いつかはしなければという気持ちがありましたが、私の性格上、延ばし延ばしにしていました。重い気持ちではじめてみましたが、一つ一つ手に取ってみて、今の私には必要なのだろうか?と自分に問いかけて分別をはじめてみました。そうすると意外と今の私には必要のない物の方が多くあることに驚きました。
では次にそれをどうしようかと思いながらも答えは簡単で処分するだけでした。その処分するということが、私には今までできずにいました。いつかは使えるのでは?とか、いつかまた着られる時がくるのでは?とか、あの時捨てなければよかったと思いたくないという気持ちがあるからです。でもそう思いながら全然使わずに棚の奥にしまってあった食器、それは3年も4年も使わずにしまってあったりとか、ひどいとカビがはえていたりとか。
 私は今回意を決して今の私に必要な物だけを選んで整理しました。そうしましたら、仙台市の家庭ゴミの大袋、15袋分も処分できました。処分してみた私は後悔するのかな、と少し不安もありましたが、そのような心配は今のところありません。というよりは、やはり今まで使わずにあった物というのは私の生活の中にあっては本当に必要のなかった物だったのだなあと思うことであります。
 私は教会生活をさせていただいてます。今回自分の身のまわりを整理整頓してみて、自分の信仰生活にあてはまると感じました。
日々生活をしていますと、小さな事がらが積み重ねになり、どんどん大きくなっていくことを感じます。また、問題、課題は一つ一つちがうことのように見えますが、きちんとそれに対処すると、ほとんどが自分自身とどう向き合っているかとか、私自身の姿勢の問題であることに示されます。それは結局、自分自身がどうあるべきかということを試されていると感じます。いろいろな思いを感じながら自分の信仰生活はきちんと守られているのだろうかと、自分の思いが積み重なってくると不安になってきます。もちろん教会に行ってメッセージを伺い聖書を読み、お祈りをする生活をさせていただいています。そのようにしていても社会に出て仕事をし、家族との中での生活や世の人々との関わりの中で自分が神を信じる者としてふさわしい者であるのだろうかと問うことがあります。そのような気持ちで私は自分の信仰がわからなくなってしまう前に私の心をきちんと整理整頓しようと思い牧師先生のところへ伺いました。そして先生によって一つ一つ整理していただき、信仰者としての基礎、私がいかに罪深い人間であり、しかしその罪を赦してくださり、キリストの血潮によって私はもう一度神と共に歩むことができていることを信じ、感謝したことであります。
 教会のメッセージでは毎回キリストの贖い、神の大いなる愛を何度も何度もくり返し語られています。私は信仰者として今の私にとって何が大切なのだろう、何が必要なのだろうかと問う時に、「神の国とその義をまず第一に求めなさい」、とみことばが示され、私を愛し下さる神と共に歩むことを選択し続けて行きたいと願います。そして私のすぐとなりに一緒に歩んでいる父の信仰を見せてもらえることに心から神に感謝しています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)