同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— イエスの火 —


「わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。」(ルカ 12:49)

「イエスの品性」第13章イエスの熱心、に、
「人々はヨハネのもとから濡れて帰ったが、イエスのもとからは火をつけられて帰った。」

  • 同労者ホームページ表紙ページ下欄「イエスの品性」第18章
  • 本をお持ちの方は p.226
    という段を読んで、愉快な気持ちになりました。

     暗いときには明るさを求めて、火に引き寄せられます。ガソリンスタンドもコンビニエンスストアも明るく明かりをともして人々を引き寄せます。 薄暗い方がいいのは水商売の世界でしょう。やはり水商売は光の商売でなく闇の商売だなあと思いますね。アルコールに心を許してキリスト教の道を踏み外した人をみました。 明かりが蛍光灯からLEDに変わって、電気代がますます安価になりました。教会もギンギンに明るくして世の人々を引き寄せるといいでしょう。  寒いときには暖を求めて火に引き寄せられます。寒ければストーブに寄っていきます。寒い日には教会は暖かいといいことは言うまでもありません。

     しかし、教会の本来の働きは人々のこころの中に光を照らし、こころの中を愛によって暖かくすることです。
    これがまことに難しい。 かつては、路傍でトラクトを配ると、道をゆくひとびとが受け取ってくれました。しかし、いつのころからか次第に受け取ってくれなくなりました。 その中に救いの道が書かれてあり、光と暖かさが待っているのにです。
    その打開の道は、
     まず、私たち自身がイエスに火をつけられることが必要です。私たちがまだ濡れたままでは、どうしてひとびに火をつけることができるでしょう。 バプテスマのヨハネは、 「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(マタイ 3:11) とイエスを紹介しました。私たちが必要としているのはその火です。神は、「求めるものに聖霊をくださる」(ルカ 11:13)のですから、まず求めましょう。
     イエスに似たものとなり、イエスの心を持ち、イエスの歩まれたように人生を終わりまで歩むことに燃やされましょう。
    そして「きよめの道」に燃え、家族を愛し、教会とその働き人を愛し、兄弟姉妹を愛し、隣人を愛することに燃やされましょう。

     神が日本の教会に火を投じてくださいますように。