同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 働くことの意義 ~

森田 忍

「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」(ヘブル 10:23)

 2022年も残り2か月を切りました。今年も自らの課題と共に歩んできた1年であったと思わされました。
特に課題として大きく示されたことは、自身の職場での在り方でした。高校を卒業し、今の職場に就職して13年が経過しました。
私の職場は防災設備の施工、メンテナンスを行っており、私はメンテナンス部に所属しています。職業柄、土日や祝日、平日の夜間、朝方早く等、点検を行う現場によっては様々な時間帯での業務もあり、また消防法に準じての職業ですので何か全国的な事故があると法令が強化され、業務の内容も変化と対応に迫られることも多々あり、忙しい日々に自らの業務と責任を果たすことで一日があっという間に過ぎることが多くなっているような気がします。
先ほどの職場での在り方についての課題とは正に、忙しい業務を行う上で、どのように円滑に社員同士が協力していくべきか、この事柄において私は意見がぶつかることがありました。
私は、営業部である先輩の方と最近、仕事の取り組み方に疑問を持ち、言い合いになることがありました。
私の業務の在り方に注意を受けましたが、私は指摘の内容に納得ができず、自身の意見をぶつけました。
具体的な内容は避けますが、私は感情的になり、その上司とは口を聞くと仕事が上手くいかなくなる、もうこの人を信頼しないで頼らず自分の力でどうにかしようという思いが強くなっていき、その上司の不満を家庭でも漏らしていき、中々気持ち的にもうまくいかない日々を過ごしていました。
そんな折、家庭集会でこのことを山本嘉納先生に相談させていただきました。
先生からは「そんなところでの不満でとどまったままでいるのではなく、淡々と自らの業務に勤しんでいき、感情的な仕事の進め方はいい影響をもたらさない、嫌なら職場を辞める選択も考えたくなるが、ここを自らの成長の場だと考えるならば続けて取り組んでいくことに価値が十分にあるし、それはクリスチャンである私達の重要な姿勢である」とお話を頂きました。
そのお話の後、私は常にそのことを考えながら業務に取り組まさせていただいていく中で今まで、私が嫌だと思っていたことは小さい事柄であり、自らの気持ちの枷になっていたのは自分の感情的な思いばかりが頭と心を支配していたように思わされました。
神は自らの思いを中心に物事を進めるのではなく、神を信ずる信仰が具体的に自らの働く職場において、先生を通して語って下さったことに感謝を憶えました。職場の働きに自らの在り方を見出せたことはすごく幸いなことであったと思いますが、同時に継続して、自らを律し続ける事が如何に簡単ではないかを思わされます。神が導いて下さったこの道を私は、尚、信じて歩まさせていただきたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)