聖書研究
— 救いについて(29) —
野澤 睦雄
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。 」(ヘブル12:2)
3.聖書が示す人間観・・・救いの必要、救いの内容を考察する基礎
・神が人間のために備えられた救いに関する聖書の記述
<信仰>
イエス・キリストを信じ、救われているひとは、「信者」であって皆信仰を持っています。そして信仰を失うと救いを失います。
念を押しておきますが、信仰は知的同意以上のものです。
救われているということについての信仰はあるかないかだけですが、この信仰には「質」と「量」に相当する面があります。また信仰は成長し成熟したものに変わっていく面があり、あるいは後退してだんだん貧弱なものになっていくこともあります。
それらを聖書から学んでみましょう。
- 信仰の量と質 -
1) 信仰が薄い・・厚い、薄い
「信仰の薄い人たち。」
・マタイ 6:30,8:26, 14,31,16:8,17,20
・ルカ 12:28
2) 信仰がない・・量の多寡
「イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」」
・マルコ 4:40
・ルカ 17:5 信仰の増減
・ローマ 12:3 信仰の量に応じて
・テサロニケⅠ 310 信仰の不足
3) からし種ほどの信仰・・大小
「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、・・」
・マタイ 17:20
・ルカ 17:6
4) 信仰が深い・・深い、浅い
「 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。」」
・使徒 3:12
5) 堅い信仰・・堅い、もろい
「私は、肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたといっしょにいて、あなたがたの秩序とキリストに対する堅い信仰とを見て喜んでいます。」」
・コロサイ 2:5,2:7
・ペテロⅠ 5:9
6)信仰を強める・・強、弱
「こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。」
・使徒 16:5
・ローマ 4:19,4:20,14:1
- 信仰の成長、後退 -
1)全き信仰・・完全、不完全・・成熟した信仰と未熟な信仰
「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」
・ヘブル 10:22
「百人隊長は・・・イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」」)
・ルカ 7:9
2)信仰の成長
「 私たちは、自分の限度を越えてほかの人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域内で私たちの働きが広げられることを望んでいます。」
・コリント 10:15
「兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。」
・テサロニケⅡ 1:3
3)信仰の前進と後退
「わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」
・ヘブル 10:38-39
理解しておかなければならないことは、信仰に成長したからより「聖く」なったなどということはないということです。
また、愛についても同様です。ただし「愛」は「聖」とは違って、信仰の成長と共に愛にも成長できる可能性はあります。しかし、信仰と愛は別のものであることをパウロはこうのべて明らかにしています。
「また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。」(コリントⅠ 13:2)
冒頭の弟子たちの願い、「私たちの信仰を増してください」、に対するイエスの答えはこうでした。
「自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」(ルカ 17:10)