巻頭言
— 人生の分岐点とその時 —
茂永 進
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」(伝道者の書 3:1)
最近、私は今から36年前1988年の夏の出来事をよく思い出します。私は17才、高校2年生でした。とても暗い高校生活を過ごしていました。進学校と呼ばれるいわゆる多少学力の高い生徒が入る高校に進みましたが、どんぐりの背比べで、自分の実力を思い知り、クラスの仲間と馴染めず、常に孤立し、浮いた存在となっていました。
そして、夏休みを迎えました。
その時に、聖泉連合の教会であった岩手県二戸郡にある奥中山教会へバイクでツーリングしていくことに誘われました。私の高校では原付バイクの免許を取得する事が許されていたので、高校1年の時に取得していました。
バイクは当時、山田大兄から譲って頂いたギヤ付きバイクに乗りました。
今は天に召された山本光明牧師が中型バイクで先頭を走り、嘉納牧師、山田兄他、当時若い兄弟数名と連なり、炎天下の中、ひたすら奥中山教会を目指して走りました。
黙々と走る中で、私はとても楽しく、居心地の良さを感じ、ここに私の真の居場所があるんだと初めて気付かされたのです。
仙台に戻って来て夏休みが終わっても、当時同世代で高校生だった教会に来ていた人達のように、高校生活を謳歌することはありませんでしたが、教会で生きる事に生き甲斐を見出していき、その年の11月に救いの恵みに与りました。
寝たきりで死が近かった頑固一徹のようだった祖父一平も山田兄との定期的な訪問を通し、神を信じて天に召されていくことが出来ました。
私は、光明牧師がバイクで先頭を走り続け、夏の暑さと長い運転時間の中、事故がないように細心の注意を払いながらも楽しく、若者達と共に生きて下さった愛を改めて思いおこします。教会に帰ってきたときに天に召された和子婦人伝道師が開口一番に「山本(光明牧師のこと)は年を取れないわね。」と言われた言葉がとても印象に残っています。本当に労を惜しまずに、神の愛に生き続け、仕え続けてくださった師でありました。
どうしようもなく、生きることに行き詰まっていた私に真の神を信じて生きていく素晴らしさを教えて下さり、私が自立した信仰生活を始めるきっかけとなった大切な出来事でした。
時は流れ、私も当時の光明牧師に近い年齢になり、長い年月をかけて、教会の中で大切な責任の担い手の1人とならせていただいています。
イスラエルの民に大いなる憐れみと忍耐をもって歩まれた神の愛が、この私にも注がれて来たことを感謝します。
教会は様々な試練を乗り越え、代を重ねて、教会員のクリスチャン家庭に与えられた子ども達が、救われて、一人も教会から欠けることのないようにと信仰の継承を目指して歩みを続けています。
今は、教会一丸となって願っている望みの結実の為に祈り続ける1人として、共に苦しみ悲しみ喜び分かち合う者として、信じて疑わずその時を待ち望むものであります。