同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 立ち続ける —

山田 行


「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ 14:1)

 「おはようございまーす! 今日は○○君(誘っているお友達)は来れませんでした~」・・・一本杉教会の子ども向け集会「Sunday Kids」の一場面です。その他、お母さん向け子育ての集会では・・・「今度の集会に参加予定だった□□さん(求道中の方)が来られないそうです」とか、また別の集会では今まで来ていた方が「次回からは来られなくなりそうです」などなど。

一本杉教会も福音の働きが始まって3年目になりました。お友達を誘ってくれる子どもたち、いつも求道者の方々に声をかけて下さる婦人たち、集会のメッセージを担当して下さる先生方、色々と準備をして下さるスタッフの皆さん、そして献げて下さる方々、祈って下さる方々等々、沢山の方々に支えられている教会です。しかし、上記のようなやりとりは日常茶飯事で、なかなか真に神を求める方々が定着しない現状です。

思えば今までも、自分の友人、知人、親戚等を教会の集会に誘うため、声をかけ続けた日々がありました。断られることがほとんどで、やっと来てくれたと思ってもなかなか続かず・・・その繰り返しでした。救いに至る人など一人でもいたでしょうか? もちろん福音の働きは喜びです。感謝なこともありました。しかし繰り返される悲しい結末に心が傷つき、精神的に落ち込んだり、自分の力不足に苛立ったり、最後には「もう嫌だな」という気持ちになってしまったり、はじめから「どうせこの人も救いに至ることはないだろう」と言い訳をして逃げたい気持ちになったりもしました。
しかし神は、不思議な力で私をもう一度立ち上がらせ、信仰の現場、福音の働きのための現場を与え続けて下さるのです。

本教会の分科会伝道会「三浦綾子読書会」では、私たちの教会の中で長老と言えるお二人が20年以上、福音のための働きを続けておられます。昨年は、その読書会に長年参加されていたご婦人がついに神を信じ、私たちの教会ではありませんでしたが洗礼を受けられました。他にも長く参加されている方で「実は私も洗礼を受けているのです」と告白してくださったご老人もおられました。読書会参加者の中にはまだ信じていない方々もおられますが、その方々にも長老のお二人は、いつも真っすぐに「神を信じて欲しいです」と語り続けておられます。この読書会の20年余りの年月の中には、他に誰も参加者が無く、お二人だけで集会を持たれていた時期も長くあったとお聞きしています。それでもお二人は変わらない姿勢でそこに立ち続けて下さっていたのです。今ではほぼ毎回8名ものレギュラーで集会が持たれ、今月はさらに1名、新しい方が参加されました。長老のお二人は変わらずに、ご自身たちも神の恵みによって罪を赦され救われたこと、そして神と共に歩む人生の幸いを証しし続けておられます。そこに大きな価値を見出して感謝とともにその現場にいて下さるのです。私はその姿勢に触れて本当に感動し、力と勇気を頂いております。

一本杉教会の働きも長い戦いになるでしょう。しかし冒頭の御言葉のように、心を騒がせることなく、ひたすら神を信じキリストを信じ、教会の方々の支えを頂戴しつつ、この現場に共に立つ家族とともに、私も立ち続けていきたいと願っています。

(仙台聖泉キリスト教会会員)