同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

 - 父の信仰 -

森田 初実

  「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル 11:1)

 父は今年8月で88歳になります。父は15歳で、生まれた福島の会津の山奥から東京へ働きに出ました。そして、19歳の時に教会へと導かれました。神様との出会い、救いは21歳の時で、70年近く教会生活、信仰生活を続けています。毎日の聖書通読も60年以上欠かさずしてきたことをよく話します。父の一日の始まりはどんなに忙しくても聖書通読と祈りの時間をとることでした。私も幼いころ父が昔の半畳の押し入れの上段に小さな机と蛍光灯をおいて、そこに座布団を敷いて机の上に聖書日課表が置かれていたのを覚えています。子供心にその狭い空間に時々入って座ってみて、とても静かで、落ち着く空間だったことを覚えています。狭い所ですが、父にとっては大切な神様との交わる場所でした。そして、両親がいつも2人で祈っている姿を、私は小さい時からみてきました。私が小さかった頃は、決して今のように物がたくさんある時代ではありませんでした。でも、教会から歩いて5分位の所に小さなアパートに家族で住んでいて、両親は自営業をしていました。両親は教会の近くに家を建てることを望んでいました。私が小学校5年生の時に1階が鉄工場、2階が自宅となる一軒家を建てて、教会へは歩いて5分位の場所でした。家を建ててから両親はいつも家にいました。1階が工場と事務所なので、配達がない限り、必ず学校から帰ると両親がいました。仕事は幸いにもいつも忙しく、母は配達、事務作業の仕事がほとんどで、あまりにも忙しい時には従業員の夜ご飯を出して、皆で残業をしていました。父は、工場でいつも電気溶接の音をガチャン、ガチャンとしていました。2人は夜中まで働き、徹夜をすることもありました。しかし、教会が近かったので、集会の始まるギリギリまで働いて、集会を守った後に、また夜中まで仕事をしていたことでした。そのように働けていたのは、ほんの10年前まで行い、守られてきたことでした。私達子供は2階で寝ていてもガチャン、ガチャンと父たちが働いている音をききながら眠っていたことです。両親は教会の近くに家を建て、自営業をして、献金をしていくことが2人の信仰でした。両親は初代クリスチャンです。右も左もわからず、一途に神と教会と共に歩み、神の愛、恵み、憐れみ、贖い、祝福を信じて歩んでくることができました。ずっと平坦な道を辿ってきたわけではありません。むしろ、明日の生活はどうなってしまうのだろうか、どうしてこのようなことが起こるのだろうかという、厳しい所を何度も何度も経験してきました。しかし、母は信仰を最後まで全うしました。父は、母が亡くなり、80歳の時、東京で戦ってきた信仰の城を全ておいて仙台へ来ました。ただ信じて仙台へ来ました。これが父の信仰です。静かで目立つものは何もありませんが、父の真の通った信仰です。仙台へ来た時は、足が弱っていて元気な父ではありませんでした。今の状態とほとんど変わりませんでした。仙台へ来てからも、大きな手術、長い入院、加齢にともなう病気でのたびたびの入院や病院通いです。父は時々話します。「昔の人は50歳~60歳で亡くなっていたけど、80歳を過ぎてみて、こんなに病気と一緒に生きなければいけないんだね。でも、今、ここまで生かさせていただけるおかげで、ひ孫と一緒に礼拝を守れるし、かわいい讃美をきかせていただけるなんて感謝だ。そして、孫が礼拝で立派に司会をしている姿をみることができる。」と言います。今の父の目標は、ひ孫たちと礼拝出席をすることです。そして、最近とても大きな目標を言いました。保兄と咲牧師の結婚式に出席させて頂いたら、ひ孫娘の結婚式もみてみたいなぁとニコニコと笑顔で言っています。父に対する神様の大いなる祝福と憐れみに心から感謝いたします。尚、それまで、私も父と共に、神の前に歩みをさせて頂きたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)