同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第47回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

2. 旧約における三つの職務の考察(つづき)
2.3 王(つづき)

 聖書は私たちにすぐれた預言者たちの記録を提供しています。サムエル、ナタン、アヒヤ、エリヤ、エリシャ、からはじまって、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、以下小預言書に名を連ねている人々から、名が記されていないけれどもすぐれた預言者たちがいました。しかし、王については、善い王、すばらしい王であったと記録された人物は少なく、悪しき王であったと記されている人々が圧倒的に多くいます。善い王であるか悪しき王であるかの聖書の判断基準は、ひとえに彼らが神に対してどのように振る舞ったかにかかっています。そして、神を畏れない王は、配下の人々に対しても悪を行いました。善い王であったとされる人物たちもそのほとんどがその生涯を全うできなかったことがわかります。
 聖書に記されているのはそのような王たちなのですが、彼らは善いにつれ、悪いにつれ、祭司、預言者に比べて「支配下にある人々に対する影響力」が非常に大きいことに気づきます。王はこの世の権力を持っていることが、配下の人々に対する影響力が大である理由です。
 サムエル記第一の最初の部分では、祭司エリがおり、「神のともしびは、まだ消えていず、・・」(サムエル記I 3:3)と書かれているとおり、神に対するかれらの信仰は、細々としたものとなっていたことをうかがわせます。サムエルが立てられて預言者でありかつさばきつかさとして働いたことによって、神に対する信仰が復興しました。
 ダビデによってイスラエルの王国が確立し近隣諸国の間にその地位を固め、かれらは周囲の民の干渉を排除することができました。ダビデは神を畏れ、神を愛しましたが、その彼の信仰は彼ひとりにとどまらず、イスラエルの民に浸透したことが分かります。
 ダビデは、エリの時ペリシテ人に奪われたけれどもペリシテ人が返してきた神の契約の箱がアビナダブの家に置かれたままになっていたので、それをエルサレムに運び神を礼拝するのに相応しい体制をととのえました。はじめは律法に規定された方法によらなかったため、ウザ打ちの事件があり一時とどめられましたが、それらを克服しかれは目的を達成しました。そして、国を挙げて神を礼拝しました。こうしてイスラエルはもう一度礼拝する民として整えられました。
 ダビデが神殿建築の準備をし、配下の人々に献金に加わるよう、「・・・そこで、きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、主にささげる者はないだろうか。」と呼びかけたとき、彼らはみずから進んで神に神殿建築の費用をささげ、そのささげることに「喜びを覚える」ことのできる人々となっていました。そのことが、「すると、一族の長たち、イスラエル各部族の長たち、千人隊、百人隊の長たち、王の仕事の係長たちは、みずから進んで、神の宮の奉仕のために、金五千タラント一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄十万タラントをささげた。宝石を持っている者は、これを主の宮の宝物倉にささげ、ゲルション人エヒエルの手に託した。こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物について喜んだ。彼らは全き心を持ち、みずから進んで主にささげたからである。ダビデ王もまた、大いに喜んだ。」(歴代誌I 29:6-9)と記されています。
 このように、王が信仰にしっかり立っているとき、国民全体が信仰に立ちました。しかし、王の信仰が揺らぐと、国民全体の信仰が揺らぐことも記されています。
 ダビデの子ソロモンのときに、早くもそれが現れました。
「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。この女たちは、主がかつてイスラエル人に、『あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる』と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行い、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。」(列王記I 11:1-10)
 ダビデと共に神に礼拝をささげて喜んだ民がどうしてこんなにも速く、その信仰を失ってしまうのでしょうか?偶像礼拝は、ソロモン一人だけが行ったのではなく、国全体が彼の命令でそのように動いたのです。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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