同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

キリストと教会に育まれる

石井 和幸

「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。」(エペソ 2:20)
「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」(Ⅰテサロニケ 5:23-24)

 私の娘は、この2月で1歳4ヶ月になります。毎日、家の中を所狭しと歩きまわり、自分でテレビをつけたり、オモチャで音を鳴らして 自分で拍手したり、もっと歩きたいからドアを開けてほしい・・・と親にせがんだりします。また、嫌なことは『いや、いや』と言葉にするようになりました。 最近、娘は私が面白おかしいことをすると、ケラケラ笑います。そして、もっとやってほしいとせがみます。そうなると、私は(今度は何をして笑わせようか?)とウキウキしてきます。けれども、(これ以上調子にのってはいけない、もう止めなければ)と切り替える時もあります。
そんな日々を過ごしつつ、私はかつて父が営む剣道教室に、教会の子どもたちと参加していたことを思いおこしました。
・・・毎週土曜日、父と教会の小学生数名が、仙台市北部の体育館へ車で40分かけて、剣道の稽古に出かけていました。私もいつからか誘われて、稽古にいくようになりました。子どもたちのいちばんの楽しみは稽古ではなく、行き帰りの車中でした。親元から開放されて、ハチャメチャにはしゃぐ子どもを、時に制止し、叱り、また稽古が辛く気持ちが乗らない子どもを様々な方法で励ます父の姿がありました。私も、車中で子どもたちがどうしたら喜ぶか、今度は何をして笑わせようか、夢中で考えた時でありました。そのうち子どもたちとの交わりの中で一定のルールができて、稽古の時は父とともに厳しく取り組み、子どもたちもその中で成長し、心身ともにたくましくなりました。
 私は仕事が忙しくなったり、やがて結婚準備で稽古には参加できなくなりましたが、それを残念がる子どもたちの気持ちに、申し訳なく感じるのと同時に、とても嬉しく思いました。そして私は、親御さんが剣道を通して父に子どもたちを託したこと、父も大切な教会を建てあげる働きとして(教会そのものの活動ではありませんでしたが)仕えたこと、そのような働きを見ながら、子育ては決して夫婦だけのものではないことを結婚する前に学ぶことができたことに大変感謝しました。
最近になって、これから子育てをしようとする妹と話す機会がありました。私が彼女に伝えたことは「一つの指針を貫く」ことと「コミュニティ」の必要でした。一つの指針を貫く・・・それは、この場面はAの本に書いてあったこと、あの場面はBの先輩がしてくれたアドバイスに則る・・というものではなく、夫婦でよく話し合い、子育て、教育の方針に一貫性を持たせ、その教え、導きに従って継続することです。またコミュニティ・・・母親の荷を担うのは、伴侶者はもちろんですが、そのほかにも、ともにその苦しみ、喜びを分かち合う人が必要であること。それは自分たちをよく理解してくれるコミュニティであること。さらに、子育ては決して夫婦だけのものではないこと・・・言うまでもなく、私たち夫婦にとっての指針とコミュニティは、キリストと教会であること。自分はそれを早々から悟っていたのではなく、独身時代、結婚を通し今に至る歩みを通して導かれた真理であることを妹に伝えました。
 自らの現実は、家庭・仕事・教会・・・力の入れ具合、バランスにいつも悩むような日々です。しかし、なによりまず主の前にへりくだり、主を仰ぐことを大切にし、歩みたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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