同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

間に合わせ

石井 和幸

「ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。そこで、主は、カインに仰せられた。『なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。』」(創世記 4:3-7)

 高校時代、美術の授業の際は、その授業を受けるのにふさわしい服装をしてくることになっていました。殆どの生徒はエプロンを着ていましたが、中には上下とも、汚れてもいい私服に着替える生徒もいました。たまに美術用の服装を忘れて、(私もその一人でしたが・・・)上着だけ体育着を着ている生徒がいると、皆の前で、「いいか、こういう服装、姿勢は『間に合わせ』というんだ。」と言って、一コマ2時間の授業の間一切作業をさせずに、見学を命じていました。当時私は、(芸術に携わる人はさすが言うことが違うな・・・)としか思いませんでしたが、今思えば他の授業を受ける際の服・・・制服、Yシャツ、体育着等に美術で生じた汚れを付けてはいけない、という責任者として当然の配慮でした。
 今年の10月で、結婚して満二年、娘が誕生して1年を迎えます。初めてのことが次々と起こり、あっという間に過ぎた気がしますが、神の憐れみ、導きと多くの方々の祈り、励ましに支えられてここまで守られたことを大変感謝しております。 娘が与えられて1年経とうとする時、いろいろな感謝、反省の中で、忙しくなった時、また逆に慣れを覚えてきた時に、私たち夫婦に、前述したような「間に合わせ」をしてしまう傾向があることを示されています。最初はそのつもりがなく慎重に事を進めていても、いつのまにか謙遜を欠いてしまっていることがありました。 娘は「間に合わせ」を嫌がります。中途半端な扱いをされると泣いて訴えます。最近はまれに、親の「間に合わせ」に対し訴えずにあきらめる態度を見せるようになり、娘に振り回されることは良くありませんが、娘に対して「真実」でなければならないことを改めて覚えています。
 「間に合わせ」になってしまう原因・・
・神への畏れが足りないこと、隣人との会話、祈り、神と人への想いが薄まってしまっている自らを覚えます。十字架の死にまでも従われたイエス・キリストに倣う時に、神は豊かな導きを下さることを信じて、心を尽くして神と隣人と愛することが私たちの福音宣教の一歩であることを覚えて、また夫婦としての生活3年目、子育て2年目に入りたく思っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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