同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— メサイヤへの私の思い —

森田 初実

「私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。」(詩篇 146:2)

 新しい年を迎えて、はや1ヶ月が過ぎようとしております。私には、仙台聖泉教会にお嫁にきてからずっと変わらずに、毎年、年のはじめに願い続けて来ている目標があります。
 それはピアノの伴奏のご用が与えられて、多くの兄弟姉妹と心を合わせて神様への讃美を献げ続けることが出来ることです。そしてその中でも特に、毎年年末のクリスマスのときに讃美されているメサイヤのピアノが私にとってとても大切にしてきたものです。
 仙台へ来て21年がたちましたが、このメサイヤのことを思いながら一年が始まり、一年の最後にメサイヤの讃美をもって終わる、この働きが私を立たせてきたものです。
 このメサイヤのはじまりの時に、山本盡子先生が強く願われたことは、ある程度経験のある、メサイヤを讃美出来そうな方々でメンバーを作り上げるのではなく、子供たち以外の教会員のほとんど全部の方々でこのことに臨んでいくことでした。
 英語で取り組みましたので、はじめに歌詞を読んでもらい、楽譜にそれをひらがなで書く人、カタカナで書く人、いろいろでした。いずれにしても発音にはとても無理がありましたが、そこから一小節ずつ音をひろいながら、完成へと長い時間をかけて作り上げてきました。私も讃美する方々のその思いにまけないように、ピアノの伴奏を今よりもっと神様に喜んで受け入れていただけるものにとの思いを持ち続けてきました。祝福の内に、このところまで私に与えられた御用を守り続けることをゆるされ、心から感謝しています。
 更に一昨年からオルガンの御用に若い姉妹が加えられました。そして昨年は3人の方がオルガンをそれぞれ1曲ずつ担当いたしました。私の3番目の息子もその1人として、一年間練習してやっと間に合って務めをはたすことができました。
 この若い方々と共に伴奏を献げる時をこの先数年持つなら、その先にはその方たちがしっかりとピアノの御用を守っていってくださることを信じて、今このように歩み続けていることを喜んでいます。今年も、12月の演奏に向けて毎月練習がなされます。それを通して教会の力の源となる讃美が絶えず続けられますが、そこに私も用いられていけることを願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)
 

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