聖書研究
— 万人祭司・万人予言者・万人王(第62回) —
野澤 睦雄
・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)
3. 新約における三つの職務の考察(つづき)
3.1 新約の祭司(つづき)
引き続きイエスが祭司として持たれたことがらと私たちが、イエスの体としてその務めを果たすためにもつべきことを考えましょう。
イエスは、
- 受けられた苦しみによって従順を学び完全なものとせられた
その結果として、従うすべての人にとこしえの救いを与える大祭司となったのですが、この「従順」ついてヘブル人への手紙では何が書かれているでしょうか。
それは、イスラエルの民の「不従順」を取り上げて示した警告です。
「ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」
兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。 「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。」(ヘブル 3:7-14)
かたくなな心すなわち不従順と不信仰は一体です。その結果、イスラエルの民は荒野で屍を曝すことになりました。
私たちに対しては、神の民のための安息は残されているから彼らに倣ってはならないと言われます。
「 こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。」(ヘブル 4:1)
「神は再びある日を「きょう」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」 と語られたのです。もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」(ヘブル 4:7-11)
自分が持っていないものを人に与えることはできません。中保者はこの安息を自分が持っていなければならないのです。この内容は単純で、神のみこころに対して、キリストが従順であられたのに倣って、従順に生きることに尽きます。
この従順に関する実際問題は、各論に入る前に権威に関連して述べたことにつながっています。神が直接私たちに語り、こうせよ、ああせよ、と命じて下さるのであったら、私たちは間違いなく、ためらわずそれを実行するでしょう。けれども、神が直接語るのではなく、そこに人をお立てになります。私たちが神に代わって人の前に立つことを考えているのですが、私たち自身の前に神ではなく人が立っているということなのです。そこに、本当にこれは神のみこころか、間に立っている人自身の勝手な考えなのか、と問われるのです。殊に、自分の望まないことには、これはみこころであるはずがないと言い出したくなります。ですから、神の建てられた教会の秩序の中で、
「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」(ヘブル 13:7)
また、
「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」(ヘブル 13:17)
というみことばを深く心におさめてこれを実行しなければなりません。
神が教会を今も動かしておられる、神が神の教会を運営しておられることを信じないならば、神のために働くことのできる人にはなれません。それを信じるならそこに立っている人に従順であることができます。
従順に生きるとき、神はこの神の民のために残された安息に私たちを入れてくださり、祭司に相応しいものとしてくださるのです。
(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)
(仙台聖泉キリスト教会員)