同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 関係を育てる —

山田 行

「人が若い時に、くびきを負うのは良い。」(哀歌 3:27)

 新しい年になりました。小さな者ですが、神の証人として用いていただけることを感謝しています。今年もよろしくお願いいたします。
 年をとってから自分の長所、短所、弱さ、強さ、何にこだわるのか、こだわらないのかなどいろいろな場面で思い知らされることがあります。若い時代に、何を行ってきたか、何を避けてきたかなど今の自分にとても影響を与えていると思います。
 私は牧師の家庭で育ちましたので、父と母の生き方がとてもすっきりしていて明白でありました。もちろん生きるうえでの戦いや、次から次へと問題課題はありましたので、大変ではあったのですが、神の福音の中に生きるという大きな柱がいつも家庭の中にあるので子供としては分かり易いことでした。分かっていたから自分も共に生きられるか?まさに反対でそんなに簡単なことではありませんでした。両親は思うようにいかない小さな種を、柔らかい土に植えて水や肥料、余計な雑草をぬき大切に育ててくれたと思います。時間がかかり思うように育たない時期も、病気になったり何度も枯れそうになっても忍耐深く関わってくれたと思います。大切に育て愛してくれましたが、反面、子供でもきちんと神に仕える義務を強要されました。与えられた義務は理解しようがしまいがやりたいか、やりたくないかでは無く、両親の命令として責任を持って遂行することでした。若い時にくびきを負うとは、若いうちからたといどんなに小さな御用でも、喜んで果たし、人が見ていなくても神が見ていてくださることに恐れをもってやり通すことでした。教会の集会、行事を大切にすること、信者さんを大切にすることでした。もちろんできないほうが多かったのですが、そこでも時間をかけ、忍耐して育ててくれたと思います。神が求めておられるのは困難な暗黒のこの世にあっても雄雄しく重荷を担っていくクリスチャンです。若い時のくびきを負う訓練は人生の厳しい現実に立ち向かうことに繋がっていくと思います。若い時には分かりませんでしたが、年を重ねるとその訓練の尊さが分かってきました。いよいよ罪人だった私は両親との関係が神との関係に結びつきました。それは罪の悔い改めです。神の憐れみなのですが、私の神への信頼と両親を信頼していたので、潔く神の前に出ることが出来ました。赦されて新しい命を生きる幸いを味わうことができ感謝です。与えられている子供たち教会の若い方々にも関係を育てていくことに力を注ぎたいと願いました。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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