同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第53回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

3. 新約における三つの職務の考察(つづき)

 新約のキリスト者である私たちにとって、この万人祭司、万人預言者、万人王という視点がなぜ必要なのか、考えておきたいと思います。
 日本のキリスト者の多くは、不信者の家庭に育ち、神の存在すら知らずに成人になったことでしょう。ある時、キリスト教に接して、神がおられた、私は罪人だった、キリストが私の罪を十字架で贖ってくださったのか、と分かって信者になります。その信仰の内容は、「赦していただく、助けていただく」ということがほとんどすべてであることがありがちです。「人が救われるのは、信仰によるのであって、行いによるのではありません」というところに止まっているのです。
 しかし、やがてこのように勧められるでしょう。「あなたは、救われたのだからあなたの隣人を救わなければならない。」そして、それに向かって行動する人も多いでしょう。その場合、考えておかなければならない問題があります。それは「権威」ということです。
「イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。」(マタイ 7:28-29)
これは山上の垂訓の締め括りに記されているみことばです。人々はこれを語られたイエスに権威を感じたのです。
 イエスが驚かれるほどの信仰を持っていた人がいました。それはなんとユダヤ人ではなくローマ人の百人隊長でした。彼のイエスとの会話の一部を取り上げますと、
「しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」(マタイ 8:9-10)と記されています。論題の中心は医療とか奇跡とかではなく「権威」ということであって、イエスが癒すことがおできになるということは、当然で、論ずる必要のないことでした。
 四人の人に寝床ごと運ばれてきた中風の人の記事を見てみましょう。
「すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている」と言った。イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。すると、彼は起きて家に帰った。」(マタイ 9:2-7)この記事でも、イエスご自身が論じておられるのは、「権威」ということです。ここでは、「罪を赦す権威をイエスがお持ちであることをあなた方が知るために」と語っておられます。
 十字架の時を前にして、エルサレムに入城されたイエスが宮きよめをされた後、パリサイ人たちの質問はこうでした。
「それから、イエスが宮に入って、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」」(マタイ 21:23)
イエスの宮きよめは神の子、キリストの権威によりました。
 人がこのようになにか行動するとき、そこには「何の権威があって」そうするのか、そうしなければならないのか、といった問題がつきまといます。今、政権政党が変わって、その政策が話題になっていますが、このような「世の中の」問題でも、権威はつきものです。総理になれば総理の権威・権限があります。一般の大臣もしかりで、某政治家が厚生労働大臣になったとき、薬害肝炎の問題で、動かない官僚に「大臣命令」をだして報告させ、やっと事が動いたことを皆さんはご記憶でしょうか。大臣命令に背くと免職になりますから、いやいやでも従ったというわけです。
 皆さん私たちは、キリスト者になりましたが、神はどのような権威を私たちにお授けになったのでしょうか。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ 1:12)
神の子供という権威をお授けになりました。さらに聖書をひもといていくならば、神の祭司、預言者、王という権威をお授けになったことが分かります。世に対して立つには権威が必要なのです。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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