同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第49回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

2. 旧約における三つの職務の考察(つづき)
2.3 王(つづき)

 王が支配下にある人々に対して影響力をもっている原因は、その権力にあることは言うまでもありません。
 サムエルがダビデに油を注ぎに行けと神に命じられたときの、彼と神との会話を考えてみましょう。
「主はサムエルに仰せられた。「・・角に油を満たして行け。あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。わたしは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。」サムエルは言った。「私はどうして行けましょう。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」主は仰せられた。「あなたは群れのうちから一頭の雌の子牛を取り、『主にいけにえをささげに行く』と言え。・・」(サムエル記 I 16:1-2)つまり、殺されてしまうというその一事によって、サムエルでさえも、その行動にサウルの強い影響力を受けざるをえませんでした。 シドンの王の娘、イゼベルを妻とし、イスラエルにバアル礼拝をもたらした王、アハブの宰相オバデヤは、主の預言者たちをかくまっていました。彼は「オバデヤは非常に主を恐れていた。」(列王記 I 18:3)と評価されていますが、彼はそれを隠れてやってのけたのでした。それ故、恐らく、王の命令によって不本意な行動をすることを余儀なくさせられていたことでしょう。
 王の権力と衝突することのないところで生活出来た人々はよかったでしょうが、ひとたび、王の命令に従うことが、神に従わないことになる立場に立たされた場合、当然命を賭して事に当たらなければなりませんでした。ダニエルの三人の友人たちとネブカデネザル王のやりとりは正にそれを表しています。

「もしあなたがたが、・・ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。・・・」シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。 もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」(ダニエル書 3:14)

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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