同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第56回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

3. 新約における三つの職務の考察(つづき)

 牧師の権威の問題について触れてきました。そしてその権威の議論は牧師が神の人無私の人であって、ひたすら神に仕えることを前提としていると述べましたが、なにごとにも例外があることを承知の上であえてそれについて一言付け加えておきたいと思います。「うちの牧師はダメ牧師だから従わなくてもよいなどと思いませんように。」その判断は神のなさることであって、この文の読者のあなたがすることではないからです。ダメ牧師だと思う人はきっとその牧師のお荷物信者になっています。考えを改めて、その牧師の同労者をつとめることに心を用いるべきなのです。
 夫婦の間における夫の権威の問題はもっと強烈に命令されています。「同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。」(Iペテロ 3:1)
皆さんがよくご存じの通り妻の服従に対して、夫への要求は、キリストが教会を愛して自分のいのちを犠牲にしたように妻を愛しなさいです。本気でこのみことばに取り組んだならこの夫婦のあいだはなんとダイナミックなものとなることでしょう。
 日本のキリスト教界の隘路となっている重要な問題のひとつに、キリスト者家庭の子供が救われてキリスト者にならない、キリスト者になる率が低い、ということがあります。その主要な原因のひとつに、親が子に対して権威を持てないことがあげられるでしょう。そしてその打開策はどこにあるのでしょうか。
 最近スザンナ・ウェスレーに対する関心が高まっているそうですが、この問題に対する非常によいヒントを彼女が提供しています。彼女がジョン・ウェスレーに自分は子供をどのような考えに立ち、どのような方法で育てたかを書き送った手紙を、ジョン・ウェスレーが信仰日誌に記しました。その要点をご紹介しますと、親が子に対してしなければならない第一のことを次のように述べています。
「子供たちの心を形成するために、まず為されなければならぬことは、わがままを征服して、 従順な気性の子供にすることです。」「わがまま」は別な人の訳では「自我」とされていますが、私たちがよく理解しておかなければならないことは、スザンナ・ウェスレーは親子の関係だけについて言及しているのであって、誰に対しても人当たりの良いいわゆる「よい子」にしなさいなどと言っているのではないことです。彼女の述べている真意は、親に服従できればよいのであって、他の人に対しては少々てこずらせるような者であってもよいのです。親に対しても、ぶん殴られるからしかたなしに、仏頂面しながらでもしぶしぶ言いつけられたことをやるといった、外面的な服従だけでなく、心から親の権威を認め、親に服従できる者でなければならないのです。殊に罪を犯したとき親がそれを罰する権威を持っていることを受け入れる子であることが大切です。
 スザンナ・ウェスレーはそれを実現する手段として、幼少のときに罪を犯し、あるいは親に逆らった時ムチ打つことからはじめ、年齢に応じてそれを変えていくことを述べています。この幼少のときにしっかりと子を打つこと、そしてその段階で親の権威をしっかりと悟らせることが最も重要であると述べています。もしその段階を過ぎると親の権威に服従する子とするために、幼少の時の何倍もの努力が必要になることを指摘しています。
 子に親の権威をしっかりと悟らせることの目的を彼女はこう述べます。
「私は、子供たちのわがままを早目に征服することを、主張するのです。これは宗教教育の只一つの強力な、そして合理的な基礎だからです。これをしなければ、いくら教えても模範を示しても役に立たないけれども、これを徹底的にする時は、両親の理性と信仰とによって、支配することができて、子供たちの悟性が成長し、宗教の原理が心に根ざすようになるのです。
 私は、次の問題を書き落とすわけにはゆきません。わがままは凡ての罪と悲惨との根源ですから、もしこれを子供たちの心に育てるならば、彼らの後日の不幸と無宗教とを招くに至ることは確実であり、もしこれを抑圧し制御するならば、彼らの将来の幸福と敬虔とを増進させることは請け合いです。もし私たちが、宗教とは己が心をなすことでなく、神意をなすことであるという事を深く考えるならば、以上のことはより明瞭となります。現世と永遠との幸福にとっての大障害はわがままなのですから、これを放任しないということはつまらぬ事ではなく、わがままを否定するということは無益な事でもありません。天国も陰府も、ただこの事できまるのです。子供の中のわがままを征服することを学ぶ親は、一つの魂を更新させ、これを救うことで、神とともに働く人なのです。これを放任する親は、悪魔のわざに従事して、宗教を実行させなくし、救いを得られなくし、こうして彼の中で働く凡てのことが、子供の心身を永遠の地獄におとしてしまう人なのです。」
 親に対して従順であることを打ち込まれなかった子を、神に従順なものとすることは困難なのです。親が子に対して権威を持つということは何と大切なことでしょうか。日本のキリスト者家庭の子供が救われないのは、両親がこれに取り組まないためであることが、まず第一に考えられます。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

Valid XHTML 1.0 Strict