同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— メッセージ —

山田 行

「私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」 (Iコリント 9:23)

 今年は東北の春がとてもゆっくりで、桜もいつ咲くのか、待ち遠しくしていたところ4月25日(日曜日)快晴で教会へ行く道筋の桜が一斉に満開に咲きました。「何て綺麗なんでしょう。」
 その日は母の77歳の誕生日で世間では喜寿のお祝いをするそうで、教会でも婦人会の方々や、教会学校の先生、子供たちから花束やプレゼントそして、賛美も歌ってもらい、母の輝く笑顔がこぼれるのを見て本当に心から感謝しました。神の豊かな祝福と、教会の方々の愛に包まれてこのところまで健康も支えられ元気でいることは娘としても本当に幸せであります。
 母は未信者の家庭で育ち、そこから母は導かれて救いを受け献身をし牧師である父と結婚をし伝道者の人生を今日まで歩んできました。文章にすればこれだけ短く表現できますが、ここまで来るには色々な試練や戦いが続いたことを証してくれます。もちろん哀れみが豊かであるからこそ、一つ一つを乗り越えて来れたと思います。
 教会の牧会も大変だったと思いますが、私を含め3人の子供をクリスチャンとしてまた、牧師にまで育てるために、母の人生すべてを費やしてくれたことを思います。
3人それぞれ一筋縄ではいかない、わがままで、自由人、手のかかる子供たちでした。しかしそれぞれに応じた扱いをし、神が生きて、私たちと共にいてくださる人格者であることを家庭の中で生活をしながら教えてくれました。言葉で伝えるのも大切ですが、両親の神に対する真摯な態度、神を畏れる生活を、どんな時にも変わらずにしているのを見せてくれたことは、私の価値観に大きく感化したものでした。もちろん母も人間なので弱さや、泣くこと、失敗、後悔の姿もありましたがその姿も子供たちに隠すことなく現しながら、悔い改めて立ち上がっていくこともありました。
 私にとって母の生き様が神からのメッセージであります。今年も母から私への誕生日カードに「女性も花を咲かせ結実を持って人生を歩んでいきなさい」と書かれていました。山本岩次郎牧師から母が若い時から言われ続けた言葉だそうです。この言葉を私も心に持ち続けて何が私にとって花なのか?何が本当の結実なのか?歩んで行きたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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