同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 生きがい —

山田 行

「受けるより与える方が幸いである」(使徒 20:35)

 私の日々の感謝は、20歳の時神に出会い自分の犯してきた罪をイエスキリストの十字架のあがないのゆえに赦していただいたことにあります。
 それまでの私は、自分が楽しくて、幸せならそれが一番良い人生だと思っていました。しかしその価値観が大きく変えられたのでした。私の生きがいは神のしもべとなって仕え、受けるより与える幸いを選び続ける人生でありたいと願ったのです。神を伝える伝道者となって隣人のためにいきたいと思ったのです。しかし伝道者の道からは外れましたが、この与えられた生きがいは今も私が神の前に祈る時そのような者であり続けることが出来るように願うことです。
 「生きがい」というのは「その人が生きているだけの値打ち、生きている幸福、利益」と辞書に書いてあります。世間ではこの値打ちを富や名声、能力などで評価します。しかし神の価値観は、仕えるという行為によって喜んでいただけるものになるということです。私は今、家庭が与えられ子供たちを育てること、経済活動などに無我夢中で生活しています。いつの間にか世の価値観で子供たちを育てていないか?この間も高校生になる娘と将来どんな仕事に就きたいかという話になった時も、娘は「友達はみんな、自分の得意で好きな仕事に就けて収入も少しでも多い方が良いよねと話している。」と言ってきたのに対して、「そんな仕事に就けたら本当に良いよね。」と軽々しく言った自分がいたのです。
 たわいもない会話ですが、神は私の心に「気をつけなさい」と語ってくださいました。
 このような会話は娘の価値観を知らず知らずに神から遠ざけてしまっていることを感じたのです。私たちの生活は得るためにあるのではなくて、与えるためにあること、それはどんなに小さなことであっても自分が苦手で、やりたくないことでも隣人のため神のために仕える仕事が幸いなんだと、神がどのようなところに私たちを用いなさるかは分からないけれど、示されたところに喜んで行ってほしいと伝えました。人からの評価ばかり気にするのではなく、神からの評価を求める信仰者であり続けたいと願うこのごろです。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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