同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

私にとっての『絆』

石井 和幸

「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5:44-48)

 2月に、東日本大震災で被災した方々が住んでいる仮設住宅に行く機会があり、そこにある仮設の集会場にて、少しの間交わりをともにさせていただきました。 雪が積もる中、小さなプレハブに集う温かな空間です。必死に生きようとしている人たちが励ましあっている姿を見ることが出来ました。私は、その光景を目の当たりにして、なお私の家族を大切にしていかなければならないと思いました。一年前の震災・・・余震がくるたび震えていた娘、出産に向けて備えをした妻、そこを乗り越えて、誕生した私の息子。 一緒に自転車で買い出しにいった父、 毎日お風呂の段取りや、生活に必要なものを考え、家族や周囲の人々に目配り、気配りをした母たち・・・家族それぞれが、何を優先しなければならないか問われた一年でありました。 また、教会をはじめ多くの方々のお祈りと励まし、助けを頂いたことも大変感謝なことでした。 この一年、日本では『絆』ということばが多く語られました。私は今回、絆を築くということを、『神の召しに生きる』という視点から、ほんの一例ですが振り返りたいと思います。
 私が学卒として、最初に就職した会社は地元の大きな鉄工場でした。そこで私は製作する商品の納期管理や出荷手配の仕事に携わりました。私が毎日打ち合わせをしなければならない人の1人に、防食班の班長で『やっさん』と呼ばれている人がいました。 この人は本当にクセのある人で、私にとって、夢にまで出てくる苦手な人でありました。防食班は、 工場で加工、溶接して形になったタンクなどを、水張検査をした後に、塗装をし、きれいに養生をしてトラックに積み込みを行う仕事を担当していました。 いわば、お客さんに渡す前の最終工程であり、神経を常にとがらせていなければならず、また、製作班で工程が遅れてしまったり、営業の納期短縮の要請、設計ミス等によるリスクの影響を受ける、 とばっちりを多く受ける部署でありました。 ですから、ひねくれてしまうのもある意味無理はないのです。 私が連絡事項やお願いをすると大抵やっさんは『やーだね』『出来るわけないね』と答え、私が(ああどうしよう、終わらなかったらどうしよう)とドキドキ、あたふたしている間に言われた通りの仕事を片づけてしまう、そういう人でありました。・・・私が就職するまでの人間関係というと、教会の方々との関係を除けば、基本的に利害関係でした。 気の合った仲間、一緒に遊んでくれる仲間、自分を認めてくれる人・・・そういう人たちとそれなりにうまくやっていることが、自分にとって『絆』を築くことでありました。けれども、就職してからは、業務を遂行するためには苦手な人とも『絆』を築いていかなければならなくなりました。しかも、就職先は神から与えられた、召された職場であるとの確信があったので、「自分にはできません」と言って辞めるわけにはいかない。 逃げるわけにはいきませんでした。  
 私が最初に取り組んだのは、やっさんの話をとにかく聞くことでした。 私の上司や先輩は、「やっさんとの話は長々とするな。話半分にしないと仕事にならないぞ」と指示しました。工場長からは、「彼とよく話をするのはいいけど、全部彼のやりたいようにするわけにはいかないことを忘れるなよ」と言われました。 確かに、彼との話に時間を費やすと、私は毎日帰りが遅くなり、互いの業務に支障をきたすので、やっさんからも「もういいから事務所で伝票作れや」と言われることもありました。 上司の指示通り私の方から彼を突き放すときもありました。 しかし、とにかく彼を獲得したい、本心を知りたい、そうしなければならない・・・そういう日が続きました。
 ある時、彼がケガをして入院するということが起こりました。 私は立場上、お見舞いにいくべき人間でしたが、(イヤだなあ、何言われるかなあ・・・)という思いもありました。けれども、 病室を訪ねたとき、彼はとても喜んでくれました。そして、病院なのであまり時間をとってはいけないと思いつつも、彼は時間をかけて仕事に対する思いを私に語ってくれました。そこで分かったことは、彼が実は良く考えて仕事をしていたということでした。通常、製作班の職人は自分の工程しか頭になく、何かトラブルがあると他の部署に責任転嫁をする人が多くいましたが、やっさんは、営業的なこと、設計的なこと、お客さんの立場・・・すべて視野にいれて仕事をしていたのです。確かに、普段彼は一癖も二癖もあるのに、営業マンとは冷静に仲良く話が出来ました。若い私はまだその奥義を理解することが出来ず、(彼にとってはある意味対峙する立場の人なのに・・・)と、とても不思議に思っていたのでした。
 彼との関係は、その日を境にとても良くなりました。そして、今まですべて工場長や上司が行っていた製作班の職人との打ち合わせも私が直接していいことになりました。職人さんたちは私のことを、事務所にいる人たち以上に可愛がってくれました。 やがて、営業部と設計部の人たちを中心に、ソフトボール愛好会が設立されました。やっさんが、工場の職人から唯一愛好会に参加して、とても楽しいときを過ごすことができたことを、私は忘れることができません。  
 今、 私が勤める会社には、外注業者であるD社の社長がよく打ち合わせにきます。D社は、発注金額が2000円だろうが、1万円だろうが、50万円だろうがすべて同じように細かな打ち合わせを行い、きれいに仕上げをして納品してきます。ですから、多少金額が高くても、D社になら安心して任せられるのです。また、いろいろと提案もしてもらえます。私は営業の武者修行をしていたときに、「そんな金額が少ない顧客に時間を費やすな」とよく上司に言われていましたが、D社の社長は「たとえ受注金が少なかったとしても、次どこで大きな仕事が転がり込んでくるかわからないし、会社の姿勢を口コミで評価してもらえるように」と言って、見えることにではなく、まだ見ぬ未来に向かって営業をしているのです。その姿勢は、たとえ困難が起こった時においても生きていく、顧客との『絆』として築き上げられるものだと思います。
 先日、私の娘が幼稚園の一日入園に行きました。 娘が積み木を使ってタワーを作ると、上手に出来上がったところで男の子がやってきて、体当たりして全部倒していきました。娘は呆気にとられつつ男の子をじっと見て、また積み木でタワーを作りました。そうしたらまた同じ男の子に倒されて、娘は諦めて違う遊びに切り替えたそうです。 一緒に行った家内がそのことを私に報告すると、娘が横で『せっかくまみが作ったのにねぇ!』と話していました。私は、(ああ、ついに娘の社会生活が始まるのだ)と実感しました。
 神の召しに生きる者として、教会に仕えていく者として、大切にしなければならないことは、利害関係だけで事を成そうとしないことです。 都合のいいとき、調子のよいときだけ神に仕える、つぶやきながら神に仕える。そういう姿勢を子どもはすぐ察知します。神と人との正しい関係、正しい絆を教えてくださったのはイエス・キリストの十字架であり、教会であります。 これからも 2人の子どもと接するときに、そのことを心に刻んでいきたいと思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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