同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

同労者を用いたもう神

石井 和幸

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」(II テモテ 1:7-8)

 8月20日と21日、プレイズステーションというユースミニストリーの主催で、「Worship Festival」と題し、讃美集会と伝道集会が仙台で行われました。私たちの教会も、会衆讃美の奏楽、機材と音響スタッフの奉仕を通して協力しました。
 昨年に引き続き、ミニストリーからスタッフのO兄が私たちの教会に派遣され、讃美リードと、若い兄姉がメンバーとなったバンドの指導をして下さいました。彼の指導は、音楽の技術指導もさることながら、真の礼拝者・奏楽者として、讃美すること、主に仕えることの大切さを伝えるものでした。今回、女性ボーカルとして自ら進んで奉仕を引き受けた高校生のS姉に対しては、O兄はこう言いました。「たとえば、『あなたしか神はいない』という歌詞。ただ漠然と歌ってしまったら、『別にホントは誰が神だっていいんでしょ?』と聞こえてしまう。だから、本当に心から『神はあなたおひとりだけ』そう思って讃美してほしいのです。」それに対し、S姉がしっかりした讃美の歌声で、ちゃんと応えていく姿をみて、私は本当に感謝しました。5月の教会キャンプの中高生科にて、みんなで営業マンのプレゼンをやってみた後、私はS姉に対して、『あなたのプレゼンは押しつけがましい。もし、お客さんが乗り気じゃなかったら、違う方法を考えなければならない。でも、Sさんのその一途さはあなたが本当に心から主に仕えるようになった時、大いに用いられるでしょう。だから、私はあなたの一途さを忘れない。』と言ったのを思い出しました。バンド全体に対しては、O兄はこう言いました。「集会にて、会衆は色々なところから集い、心の状態もそれぞれです。讃美も、手を上げて讃美する人もいれば、目を閉じる人もいます。けれども、私たちはこのように主に向かって讃美します・・・と基準を示すのが讃美チームと奏楽バンドの使命なんです。フロントに立つチームがおどおどしてたり、しっかり心が神様に向いていなくて、会衆の讃美をちゃんと導けると思いますか?」
 私の救いのきっかけとなったのは、教会の伝道会において、特別讃美したバンドのリーダーが、(現在の山本嘉納牧師ですが)『このバンドのメンバー5人は、どんなことがあっても主に従います』と告白したことです。たまたまその日私は、バンドの奉仕を休んでいましたが、もし自分が出演していたら、『主に従います』と告白できなかった・・・讃美し、仕えることの出来ない、罪深い自分の姿を示されました。私はバンドのリーダーである主にある同労者を通して、救いに導かれていったのです。
 ・・・O兄が教える内容は、何も真新しいことではありません。私たちの教会でずっと語り継がれ、教えられてきたことです。けれども、他の教会に属するO兄から、真理が語られることによって、若い兄姉の信仰に確証が与えられていきます。そして、兄姉たちは応答していきます。私たちの同労者であるO兄は、主に従う若い兄姉の姿をみて、多くの恵みを受けたことを証しし、また、ドラムを演奏するS兄が救いの恵みにあずかったことを、大変喜んでいました。
 私たち夫婦も、隣人の同労者として主に用いていただくことを願い、祈っています。それには、隣人のことを知らなければなりません。また、自らの信仰、教会に与えられているメッセージを知り、吟味して捉えていなければなりません。超教派の働きに関わるのであれば、なおさらのことです。私は今、自分の子どもと深くかかわり、よく知っておくことを課題として取り組んでいます。子どもがある年齢に達して、親が「そんな子だとは思わなかった」とか、「こんなはずじゃなかった」と、取り返しのつかない時が来る前に、子どもや隣人と交わり、愛していくことを課題としています。もうすぐ3歳になる娘も、非常に一途で、頑固です。また、バイタリティに溢れ、人を見て駆け引きもします。親である私は、この子どもが神の腕の中にあることを願うけれども、もしかしたら神よりも、この世を愛して生きることに大きな価値を置き、神から離れていってしまうかもしれない・・・そんな不安もあります。8月は、若い兄姉方と過ごす機会が多く与えられ、多くの主にある同労者の働きに感謝しました。その月を締めくくろうとする時、主なる神からの語りかけは、『あなた自身が主の同労者になり続けなさい』でした。自らが讃美するとき、娘は覚えたての讃美歌を私の横で口ずさむときがあります。私が声を出して祈るとき、娘は横で手を組んで、自分でことばをつなげて祈っているときがあります。
 教会で多くの同労者に愛されるとき、娘は神から多くの報いを受けています。私の家庭がイエス・キリストの十字架のもとにいること。そして十字架を担い続けること。それが二の次にならないようにと、示されています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

Valid XHTML 1.0 Strict