同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

共感・共生・共創

石井 和幸

『キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。』
(ピリピ2:6-8)
『しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。』( ガラテヤ6:14-15)

 読者の皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 今回は、昨年のクリスマスに私たちの教会で上演された、『幸せの信仰ラーメン2011』という劇について書いてみてはどうか?とリクエストがありましたので、そのことを思い巡らしつつ、証しをさせていただきたく思います。
 この劇は、1992年のクリスマス祝会にて、当時の教会学校青年科のメンバーが制作・上演したものをリメイクして、今の小学生~高校生までのメンバーが演じたオリジナルの現代劇です。 9年前の脚本は私が当時、青年科教師の指導を受けながら書きました。  
 あらすじは・・クリスチャン3世の大学生である主人公が、この世の楽しみ、誘惑に迷いつつも、教会の友に励まされ、また、この道40年、楽をせず、大きなこともせずにひたすら地道にラーメンを作り続ける屋台の店主の姿を通して、信仰を継承していくことを決意する・・というものです。主題聖句は『なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい(ヨハネ6:27)』です。1992年という年は、私が大学一年生のときであり、教会にとって試練の年でありました。 前回の同労者でも触れましたが、私自身が抱いた迷い、新しいクリスチャンの友との出会い、そして、当時神学生だった私たちの教会出身である山本 出牧師が語ってくださった励ましのことば、残された教会の友で確かめ合った真理・・・すべての思いを脚本に折り込み、当時の青年科メンバーにて、『このことは、神が私たちに与えてくださったメッセージなんだ』と共感し、結束して演じました。ですから、切迫感があり、リアリティがあり、何より『信仰の継承』を自分達は喜んで受け入れたい・・・というメッセージがひしひしと伝わる劇でした。9年経って、今の教会学校メンバーが私たちの目指した『信仰継承』の意味を味わい、そこに生きようとしてこの劇をリメイクしたことは、私にとってとても感謝なことでした。
 実際に上演されて、9年前と違うのは、今のメンバーの方が人数が多いこと、そして何より『明るく、あかぬけている』・・・一言でいえば、9年を経て神が与えてくださった祝福は大きいという印象を私は持ちました。 ただ、魂に救いが与えられ本当の意味で信仰の戦いを営むこれからの人たちが演じた劇としては、9年前を知っている私にとっては物足りなさを感じるものであったことは否めません。しかし、私にとっては劇と同時に大切にしていきたい、とても感謝な証しを伺うことができました。高校3年生で、劇の監督をした山本 守兄の証しです。彼は、劇の裏方として仕える私たちの世代に感謝をしながら、「信仰の継承とは、『継承しましたよ』『今、継承をしようとしています』というものではなく、むしろ、継承する側と受ける側がともに生きることだと思いました。」と語りました。彼は、この劇を通してはじめてそのことに気づいたというよりも、彼自身が今もなお、神の恵みと守りのなかにあり、ともに生き、愛してくれる隣人の存在を改めて感謝し、確認したのだと思います。
 私は、学卒として初めて勤めた会社にて、父が運営する会社に仕事を発注したことがありました。 その際、社長である父は私に頭を低くし、とてもへりくだった態度で応対したのです。 いくら下請けとはいえ、息子である私にそのような態度をとったことに私は大変驚きました。 それと同時に、『これなら父のもとにお客さんが沢山付くわけだ』と納得し、 そのことを教会の牧師に話しました。すると先生は、「そんなのプロなんだから当たり前です。あなたがお父さんを今まで馬鹿にしていたということです。」と語ってくださいました。 恥ずかしながら、父と同じ仕事の世界に入ってはじめて、父が大切にしていること、私に受け継ごうとしていることの意味を、父の態度を通して知りました。また、神の導きのもと、「ともに生きる」ことの大切さを牧師先生方が私に身をもって教えてくださったことは、何度も同労者にて証しした通りであります。
 今、子どもをどのようにしつけ、ともに生き、愛していくかということにおいて、礼拝や諸集会で語られるメッセージ、アドバイスが活きていることは勿論ですが、実際に先生方が子弟とどのように関わったか、そのシーンを私が覚えていることが大きく活かされています。 また、親が私にしてくれたことも、自分が親になってみてその意味、想いを理解し、吟味できることが多々あります。
 私の父は、 キャッチャーミットを持って私の投球練習にいつまでも付き合ってくれる父でした。100球、200球・・・大晦日だろうが、元日だろうが、「疲れたからもうやめよう」と一言も言いませんでした。その思いには今も頭が下がるのと同時に、息子が与えられて、私もきっと同じ気持ちで息子と相対するだろうなと思うようになりました。 今私は、父から事業を受け継ごうとしています。まさに「ともに生きる」ことによってその意味と術、そして信仰を捉える時だと思っています。 昨年からの3世代同居によっても、主に在ってともに生き、ともに家庭を創り上げていく、建設していく時を与えられています。
 さて、「幸せの信仰ラーメン」も、是非続編を次の世代に作ってほしい、いや、ともに創りあげていきたいのです。 それは私の子どもたちのためにです。失敗を恐れて何もしない者ではなく、主に在るバイタリティをもって、布石を置き、徳をたてる者として、主がちょうどよいときに用いて下さることを願い、祈っていきたいと思います。
 ・・・『しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。(ヘブル3:6)』・・・
 新しい年、主の恵みと導きを愛する方々と共感し、共に生き、そして神の家を共に創り上げていく者でありたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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