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キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

剣道大会は教会行事

石井 和幸

『こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。』 エペソ2:19~22

 仙台聖泉キリスト教会にて剣道大会が始まったのは4年前のことです。諮問委員のM兄が、「何か運動会とは別に、教会全体で交わりの時がもてるレクリエーションを」と、発案したのがきっかけでした。「教会全体で交わる」ことを目的としているのになぜ剣道だったのか? その理由の一つは、当時教会の中学生数名が剣道7段のI兄とともに剣道の稽古をしており、かつてI兄とともに剣道をした経験者も加えて、剣道をしているところを教会のみなさんに見せてあげたい・・・というものでした。発案者のM兄はさらに、ただ剣道経験者だけが試合や稽古をするのではなく、一度も竹刀を握ったことがない初心者も加えて出来るだけみんなで試合をしようという、ある意味驚きの企画をしました。そのような経緯で始まった剣道大会も、先月の21日で第4回目を数えました。M兄でさえ、(一対一で勝負を競う剣道は、ある意味教会らしくないスポーツだなあ・・・興味がある人はいいけど、関心がない人にとっては面白くない行事になるだろうなぁ)と内心思っていたという剣道大会ですが、運動会では味わえない一味違った楽しさ、主にある幸いな交わりの時が続いています。
 私たちの教会に於いて剣道大会が盛り上がっているのは何故か?私なりに分析をしてみました。
 1つめは、剣道を教える側、剣道経験者が、決して自己満足、自己表現を第一とせず、「教会全体が楽しめるように」することを第一としていることです。・・・M兄の発案、「初心者も最初から試合をする」ことに当初、懸念を抱いたのは師範役のI兄です。「剣道はそんな生易しいものではない・・・」ことを、いちばん良く知っている立場です。けれどもM兄には、初心者が初めから上手な剣道をすることは無理にしても、I兄が懸念するような、収拾がつかないような大会にはならないという確信がありました。実際、剣道経験者が初心者と試合をしてみると、積極的に攻めてくる相手から、なかなか一本を取れない場合がありました。決して驕ることなく、正しい間合い、正しい姿勢で、何より模範的に礼をつくすことが求められました。そして、自分が試合をしていないときは防具の装着を手伝ったり、試合を進行する裏方を積極的にしなければなりませんでした。何より、いちばん年長のI兄が多くの防具や竹刀を持ってきて、皆の為に動きまわる姿がありました。
 2つ目は、剣道を教えてもらう側、初心者のへりくだった態度です。教えられた通りに取り組もうとする姿、時に経験者よりも楽しそうにしている姿。しかし、楽しいだけではなく、単なるチャンバラにしようとしない、経験者に敬意を払って、茶化してしまうことをしないように意識している姿がありました。第一回目の大会にて、そのような初心者の姿をみていちばん驚いていたのはI兄です。驚いたのと同時に、教会に集う方々がそのような姿勢をとっていたことをとても感謝し、感動していました。 
 剣道大会がなぜ支持されるのか?最後に挙げたいことは「取り巻き」の存在です。山本光明牧師を始めとする年長者の方々が、剣道をしている様子をみてとても喜んでおられるのです。それはまるで幼稚園や小学校の運動会で、子どもや孫を家族ぐるみで応援しているかのようです。私たちの教会は、礼拝と同じくらい祈祷会にも人が集うのですが、剣道大会にも同じくらい人が集うのです。どうしてでしょう?———それは、神の家族だからです。家族とは、構成するそれぞれがバラバラに好きなことをする集団ではなく、みんなで喜びをともにする、抜け駆けしない共同体です。実際に剣道をする人もいれば、子弟対決、夫婦対決、親子対決、兄弟対決で真剣勝負している様子を見ながらエンジョイしている人、審判をする人、時計係とアナウンスの姉妹、経験者に一本をとられたのにも関わらず、「悔しい、悔しい」と言って師範役のI兄にアドバイスを請う若い初心者、主人に勝とうと事前に師範から特訓を受けて、二刀流に挑戦した某婦人、試合前の稽古、剣道の礼儀作法に感心している人・・・「教会全体で楽しめる交わり」になっている様子が分かります。剣道大会が教会全体の行事として継続する、その営みの中に、継承者が真実の神を見い出すことを願います。
 ちなみに、剣道は力勝負のスポーツではありません。背の低い人が高い人に勝つこともありますし、女性が男性に勝つこともあります。「油断せず、目を覚まして」来年家内に負けないようにしたいと思います。(笑)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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