同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

続・「変わらない」ことを評価する継承者

石井 和幸

『あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです』 ペテロⅠ 1:22~25

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と言うでしょう。」 ルカ14:27~30

 仙台聖泉教会の野球部は、今年も1泊2日で合宿を行いました。この合宿は10年前に、山形県の御所山にて、教会旅行会のプログラムの中で行われたのが始まりであります。以後、野球部マネジャー山田兄のご労により、仙台の秋保温泉、亘理町鳥の海、キリスト教森郷キャンプ場、宮城蔵王と宿泊地を変えながら、大切な教会の行事として定着しています。
 今年は岩手県の盛岡にて、中学生から70歳までの教会にいる男性が集いました。残念ながら参加できなかったメンバーもいましたが、総勢16名が、1日目は盛岡聖書バプテスト教会の方々とフットサルで対戦、2日目は日差しが強く、砂嵐が舞う中、盛岡の河川敷で野球の練習、すっかり日焼けするほどともに汗を流しました。練習だけでなく、移動の車中、また宿舎での語らい、ともに食事をしたり温泉に入ったり・・・そういった幸いな交わりの時も多く与えられ、大変感謝しました。
 私たちの教会では、野球やサッカーが好きで、得意な人だけがプレーするのではありません。教会で行われる音楽、讃美を通しての伝道も、音楽が上手な人が携わるのではなく、みんなで取り組みます。なかには当然、不得手な人、本当は練習や試合のときに雨が降ったらいいのにな・・・と思っている人もいます。しかしいざ、練習や試合が始まれば、選手は真剣にプレーし、裏方も自分がなすべきことを考えながら行動します。第一回目の合宿から、10年経った今も変わらず球拾いやグランド整備を黙々としてくださる役員の姿があります。それが、神が教会に与えてくださった『変わらない真理』となっています。・・・盛岡での合宿を振り返りながら、なぜ私たちの教会においてこのような活動を取り入れているのか?その目的・意義を自分なりに整理してみました。
 世においては、こういった活動は生きる術とチームワークを身につけることにつながります(真面目に活動しているのであればですが・・・)。
 学校の部活動や、クラスでの活動を思い起こすとわかりやすいでしょうか。ただ、そこには世にあって栄誉・賞賛を得るという目的が伴うことも往々にしてあります。
 しかし、教会でスポーツ活動を取り入れる大切な目的は、そういった術を信仰生活に必要なこととして身につけ、さらに教会にて信仰の師・友と一緒に生き抜くことが最善であることを悟るためです。世にあって栄誉・賞賛を得ることよりも、神に喜ばれることの幸いを知っていくためだと感じます。その目的に子どもが到達するには、親である自分が「神に従うことが最善だ」と心底思っていなければなりませんし、子どもが時にはとても楽しく過ごせるような工夫やメリハリが必要です。先輩方はそういったところに心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くしてこられたことを思います。
 私自身のことを振り返ると、高校時代は学校の球技大会では補欠でしたが、教会の野球部ではレギュラーで、夏休みに学校の海外研修に誘われましたが、教会野球部の活動を休んでまで海外へ行く価値はないと思い、断りました。社会人1、2年目は仕事がとても辛くて、休みの日野球なんかしている場合ではない・・・と思うこともありましたが、野球の時のみならず教会の活動があるとウキウキしている父や先輩方の姿を見て、(今はつらいかもしれないけど必ず自分が喜んで神に仕えることができる時がくる!)と思い直しました。先生方、先輩方は、時には黙って、時には涙しながら、そして喜びながら自らの十字架を背負い、労苦をともにして下さいました。叱責も多く受けましたが、その中に「神の腕の中に入り、共に生きよう!」という愛を感じました。
 「信じていれば神がなんとかしてくれる」と言う人がいます。確かにそういうことが奇跡的に起こることもあるでしょうが、神の前に子どもたちを勝ち取っていかなければならない、そう願って動くことが、子どもに与える影響はとても大きいことを覚えます。神の導きとあわれみにより、その営みが継続するなら、「変わらない真理」として継承者は評価します。
 今年も変わらずに教会野球部の合宿に参加してくださった方々に感謝しつつ、なお、継承者を愛し、労苦をともにしていきたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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