同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 礼拝のメッセージに生きる —

森田 心

「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。」(Iコリント 4:18)

 冒頭の御言葉が、今年、私共の教会に与えられ、「主にのみ在る」と題してこの所までエステル記を通してメッセージがなされてきました。
モルデカイの信実な姿とエステルの召しに対する信仰の姿を通して、事を正しく捉え、信じて進み行き、神の戦いをなしていくことの大切さが語られ続けてきました。
 その中より強く示されたことは、モルデカイもエステルも揺るがされない信仰の姿の中から、それを自らにおきかえて見たときに、心をどこにおき続け、どのように用い続けていくかが大きく問われていくものだと感じました。そしてその為に時間を積み上げていくことの価値を必要と思わされます。
 11月の締めくくりのメッセージには人の思いでは計りきれない神の強い御意志を捉え得る為に、私達は先に布石を置いていけるような働きをしていかなければならないことが語られました。先になってから生き働くこととは何であるか、それであれば今ここからどう動きはじめたらよいのだろうか、次の世代の者たちが確かにまことのいのちを得ていくためにはどうすべきか。
 日々の生活の中でも、メッセージに生きるものでありたいと願いながら、今年も歩み続けてきました。どれほど大きな力となったか、的をえた仕事が出来たか、ここに来て自分に問いながら、しかし、確かに言える事は、礼拝のメッセージは私を修正して下さり、奮い立たせて下さり、糧となって一週一週を進めたこと、感謝があふれます。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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