同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 教会学校の生徒を送り出して —

森田 心

「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」
(マタイ 18:19)

 教会学校高等科クラスをこの春卒業していく二人の生徒がいます。私はこの二人と中学・高校と6年間、聖日礼拝の前の教会学校の学びを共にしてきました。一人はよく話をし、よく質問してきました。もう一人は学びの内容が難しすぎてよくわかりませんと言われたのを覚えています。どちらにしても彼らに必要な学びと、彼ら自身で考え探し求めることを期待しながら、私にとっても質問に対して答えることが出来るように、又わかりやすくする為にはどうしたらいいか、考えさせられながら備えの時間を大切にしながら向き合ってきました。
 今年2月のクラスの時間の時に、「今までのこのクラスでの印象に残っていることはありますか」の問いに対して、「祈りの大切さを学びました」と言っていました。それは先生も生徒も自らの取り組みをしていること、試練と思えること、又喜びだったことなどを証しして、その後自分の隣りに座っている人の為に祈り合うことを、私とクラスの教師を共にしてきた石井ミワ姉の提案で続けていました。兄弟は、自分が家族から祈られていること、又自分の願いを祈ることはあったけれども、誰かのために祈ることはそれまでなかったことを言っていました。しかし、この時を通して祈るためにはその人(友)をよく知らなければならないこと、又それを通してイエス・キリストの愛を知ることができたことを告白していました。兄弟が高校1年のその時、涙を流して祈っていた姿が思い出されました。
 この春から、彼らに新たな進む道が与えられて、その道を進んでいく中にあって毎週少しの時間の中での学びではありましたが、聖書を通しての学びは確かにたましいが養われてきたことを信じることであります。これからはいよいよその蓄えてきたものを用いて歩んでいってほしいと願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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