同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 天に召された山田緝姉に思う —

森田 心

 先月、5日3日に山田緝姉妹が神の御許に召されました。
 1929年にお生まれになり、22歳の時、当時のイムマヌエル綜合伝道団仙台教会(現在の仙台聖泉キリスト教会)の開宣伝道集会によって救いの恵みにあずかり、その後、変わることのない、力強い信仰者としての歩みをなされ、82歳の御生涯を終えました。
 私は姉妹と同じ世代で厳しい戦いの時代を生き抜いてきた者ではありません。ですから姉妹の歩まれた多くの時間を知り得る者ではありません。
 姉妹は58歳の時脳内出血で倒れ、それ以来お体の不自由を強いられることになりました。私はその10年後に大きな交通事故にあい、後遺症が残りました。姉妹の生きる苦しさに比べるならば、私の痛みなど何ほどのものでもありませんが、それまでの私は体の丈夫な者で人の痛みや苦しみを感じ理解することの出来るものではありませんでした。神はそのことをわかる者として痛みを残すことを私になさったのだと思います。それから姉妹と教会でお会いすると「お体の調子はどうですか」「まあまあよ。あなたはどう」という会話からよくお話するようになりました。弱音をはかない方で、70歳を過ぎてからでも「やりたいことがたくさんあるのよ。あなたもがんばってやりなさい」と励まされてきました。
 今年に入ってすい臓がんが発覚し入院されました。しかし、御自宅に帰ることを願われて退院し、孫たちが24時間つきっきりの看病をされ、病とのたたかいではありましtが、孫と共に過ごす幸いな時だったようです。
 また最後の最後まで教会の集会に出席することを望まれて、召される直前まで礼拝や伝道集会に出席されていました。
 私も幾度か御自宅に足を向けさせていただいて姉妹と話をする時が与えられました。会話をする中で、ひとたび信仰の話になると、力強さと曇りのない信仰者としての姿を見させていただきました。私が今やるべき事が子供たちのことで迷いを感じていることを話すと「あなたが揺り動かされてはだめよ・・。しっかり立っていなさい。神が支えて下さるから」と教えていただk、お見舞いに行った私の方が勇気付けられて帰ってきたほどです。生前、大兄(山田姉妹の御長男)が「母が最後まで真っすぐに信仰者生涯を全うしてほしい」と証しに立っておられましたが、告別式の時にも多くの方がその通り生きた方であることを語っておられました。
 最後に、私の心に残った山本嘉納牧師の言葉があります。「告別式が終わり会堂から人が帰って行っても、姉妹の棺の周りに孫や教会の子供たちがいつまでも残っており、涙をおさえながら別れを悲しんでいる姿があった。姉妹の生きた証しは誰かが言葉で多くを語らなくとも、この一場面を見た時に、神よりの豊かな祝福があった方であること、教会に多くの財産を残された方であることがあきらかです」と語っておられました。
 御家族の悲しみに神の豊かなる慰めの御手があることを信じつつ。

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」
(テモテへの手紙第二 4章7節)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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