同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— たがいに徳を高め合う —

山田 行

「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」(I テサロニケ 5:11)

 最近、母に「まず動き出しなさい。」としきりに言われます。私は子供の時から、良く言えば、慎重でよくよく考えて行動する者でした。悪く言えば、とても恐がりで、心配性でなかなか行動できない者なのです。長所も短所も紙一重で、時々に応じてきちんと行動しないとほとんどの長所がなくなってしまう自分を感じます。
 家庭を持って嫁に出た娘に、母は「ああしなさい、こうしなさい。」とは言わなくなりました。しかし私の話は良く聞いてくれます。今年は母の入院があったので、毎日のように行っては母を慰めるというよりも私の話を聞いてもらって励まされた時だったのです。私自身が母に話しているうちに自分で迷っていたことや、心配なことなどの整理ができた時でした。
 「聞いてもらえる」と言うのは相手からの具体的なアドバイスが無くても、自分が持っている心のもやもやを言葉によって誰かに伝えようと思うときちんと整理しなくてはいけないので、それが自分自身の心の整理となり大切な問題が浮き彫りになることもありますが、ほとんどは感情的な問題などで対処の方法が分かるものでした。聞いてもらえてよく分かったことは、私も聞くものにならなくてはいけない、ということでした。アドバイスばかりが大切ではなく「聞くこと」によって相手が自分で考えて乗り越えようとする力や自分の間違いなどがわかるなど良い方向に繋がる事も大切なのだと言うことです。
 戻りますが、そんな母は一言「行動してやってみること。やらない、出来ない、言い訳は沢山あるだろうけれどもまず動き出しなさいよ。」とその後に必ず「祈っているからね」と言ってくれます。
 振り返れば私の人生は母がもじもじ、うじうじ悩んで立ち止まっている私の背中をいつも押し出してくれたのです。献身の時も、就職の時も、結婚の時もどんな時にも励ましてくれました。
 最近の私をみての励ましなので、今私が口ばかりではなく行動しなくてはいけないことに目をむけて出来ることはきちんとしなくてはいけません。与えられた隣人の徳を高めるために、母がしてくれたように励まし、きちんと行動にして表していくこと。毎週のメッセージで語られている、エステル記のモルデカイのように、エステルを育て愛し、励まし、エステルと共に恐れず自らも立ち上がって戦っていく信仰を私自身と私の家庭にも与えられたいと願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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