同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 礼拝の司会の務めに与って —

玉城 義

 主の救いを受けてからも不安定な歩みをしてきた者ですが、去年の2月に結婚が与えられ、今年4月には子供が与えられました。教会の主牧先生ご夫妻をはじめ、教会員のみなさん方の忍耐、祈りがあったからこそこのように神に導かれました。感謝しております。
 また子供が与えられるのと平行して、今年の4月から礼拝の司会の務めに与らせていただいています。感謝とともに恐れを感じています。
 ある先輩は、今でもこの礼拝の司会をする時、足がガタガタ震え、唇がものすごく渇くと話しておりました。私は先輩の話とサムエル記第二の6章にあるウザの不敬の罪の記事を読んだ時に、礼拝に対し、また司会の務めに対し、たいへん恐れを感じました。
 しかし、このような者が、こうして大切な務めに与っているということを感謝しながらなお、私自身、上辺だけでなく、霊と誠をもって礼拝する者としてこの務めを果たしていきたいと思います。
 そのためには、日々の生活、特に私自身、家庭が与えられた者として家庭生活をないがしろにすることなく、神中心に神を畏れて歩むことを大切にしていこうと思います。
今、私の教会では、青年達が礼拝の様々な御用に携わっています。この青年達と共に私も礼拝を大切にしていく者でありたく願っています。

 

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記 6:5)

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ 6:7)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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