同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— メッセージの尊さ —

森田 心

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(IIコリント 4:18)

 8月28日の礼拝のメッセージで開かれた聖句です。今年エステル記を通して連講がなされている中で、建徳という一つの鍵となる言葉から、何が良い事(徳をたてる)かということにだけ目をとめて探し続けていくのではなく、神に寄り添う、神の御側近く歩むことに目を注ぎ続けていくことの大切さが語られました。
 モルデカイとエステルを中心として事が進んでいく中で、王の栄誉を受けることになったモルデカイは、王服を着せられ、多くの人々の前に出され賞賛を受けますが、その後彼は又自らの務めに淡々と戻っている姿があり、彼にとっては王に嘆願でき得る好機であったかもしれない、けれども彼はそれを利用せず、神の御旨の時を待った、というモルデカイの心の動きが語られ、この事の大切さが示されました。その後のメッセージでは神の前に従順でありなさいと語られました。
 週ごとのメッセージでは、自らの信仰の姿に、幾度も修正を与えて下さり、立ち上がる力と、一週を歩みだすための守りを与えられている事に、心から感謝をするとともに、おごることなくへりくだって歩みをなしていきたいと思います。
 神の言葉を内に蓄えて歩みだすことは、まちがいなく世へ出て行く中でも、まどわされることなく良き働きを与えられることを確信するものであります。だからこそ、世の中で見せられる魅力あるように思えるものに近づいて惑わされることなく、見えない方、しかし確かに共に生きて働いて下さる方に信頼をし続けて、今日を神の御旨に沿って歩む者でありたいと願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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