同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

福音を宣言し、履行する教会

石井 和幸

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
ヘブル11:1

「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」詩篇126:5 

 私は先月、ある超教派団体の会議に出席しました。その団体は、創立70周年に備えて、「礎・ことば化プロジェクト」ということに取り組んでいます。70年の間、団体にてなされた運動、それを通して示された恵み、共有されてきた価値観を成文化し、その団体が「どういうことに取り組み、何を目指しているか」を明確にしていこうというものがプロジェクトの趣旨です。そのことを議題に話し合いがなされている際、大学を卒業して2〜3年ほどの若い兄姉数名から、「『福音の結実』とあるが、一体どういうことか?イメージが湧かない」といった意見が異口同音に出てきました。私はその意見に驚くのと同時に、「福音の結実」を証しするための十分な時間が会議において確保されていないことを残念に思いました。会議を終えた帰り道、私が社会人になって間もない頃はどうだったろうかと、自らの歩みを振り返ってみました。幸いなことに、私の教会では折に触れて講壇から「福音が結実」することについてメッセージが語られていました。そして、メッセージに生き、教会建設、家庭建設に携わる先輩方が多くいらっしゃいました。しかし私はというと、ことばの意味を解ったつもりになってはいましたが、そのことを実現するために「今の自分は何をしなければならないか」という課題に対しては、掘り下げようとせず、神のみこころを求めようとして祈るわけでもなく、牧師や先輩方に聞くこともしないままでいるような者でした。冒頭に掲げました聖句「目に見えないものを確信させるものです。」とありますが、今でも私は、特に「まだ何も起きていない、目に見えないもの」に対し、主の導きを確信して取り組みをし続けることを苦手としています。興味があること、自分が得意とする分野は早々に腰をあげるのですが、困難を伴ったり、忍耐をもって組立が必要なことは、「やります。」と返事をしつつ、対応を先送り、棚上げにしてしまう傾向性があります。 
 10月27日、私たちの教会で「ウィズ・ティアーズ」によるハンドベルの伝道コンサートが開かれました。ティアーズは、小学生から青年会、婦人会までの姉妹13名によって構成されています。コンサートのなかで、ウィズ・ティアーズが結成当初は5名から始まったこと、途中、解散するかもしれない試練があったこと、しかし、姉妹方が主の前に立ち上がり、一昨年ついに本物のハンドベルがある方の献品によって与えられたことが証しされました。普段は、毎月1回行われている分科会伝道会の後、一生懸命練習をしていますが、ときに主婦であるメンバーは早めに家事を済ませ、夕飯を用意し、子どもを家族に託して平日夜に教会での練習に集うときもありました。メンバーの一人一人が、試練の中を通りながらも、様々な困難を一つ一つ乗り越えながら、信仰によって未来を見ながらそこに仕えてきた姿は、コンサートの中に豊かに現れていたと思います。コンサートでは、ウィズ・ティアーズは、心を一つにした素晴らしい演奏、讃美を奏でてくださいました。そして、私はメンバーである姉妹がなされた証に心を打たれました。「もし、娘が与えられたなら、娘といっしょに、将来このメンバーとともにハンドベルで讃美を奏でたい・・・」
 多くの教会は、「信仰規準 教会理念 宣言文」等を成文化して、教会の秩序と本質を明らかにしようとします。それもイエス・キリストの福音を宣言する大切な方法だと思います。しかし、私たちにとっては、母娘で、信仰の友で構成する13名の「ウィズ・ティアーズ」の姿こそ、仙台聖泉キリスト教会の規準・理念そのものであり、福音を宣言し、履行する姿そのものであることに改めて気づかされ、私の妻もそこに加えていただいていることを大変感謝しました。それと同時に、私自身が「目に見えないことに取り組む」必要性を示されました。私たちの家庭に与えられている子どもたちの将来に仕える、その労苦を喜んで担うことが必要です。また、神のみこころ、神が与えてくださる示しを意識しないまま、気づかないままあっという間に過ぎてしまうことを警戒しなければなりません。私はコンサートにて、隣に座った娘に「お母さんのこと見えるか?しっかり、喜んで演奏しているところを見るんだよ」と言い聞かせました。豊かに与えられている福音を宣言し、履行する者とさせていただきたく、祈りつつ励んでいきたいと願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)