同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

質問してみよう「聖書を学ぶ会」—32

 10月の聖書を学ぶ会、ヨシュア記5章が開かれ山本嘉納先生を通して学びの時、それぞれの質問の時が与えられました。

 先生は、「ヨシュア記には大切な事として割礼のことが書かれていて、当時のイスラエルにとっての宗教性ということに関わっていた。イスラエルの人々は、出エジプトしてカナンに入るまでの間、割礼はなされていなかった。カデシュ・バルネアの厳しい評定、荒野での40年間、保留の状態。事実上、前にも後ろにも行けない歩み。時が来て事が前に進んでいくことになる。不備、礼拝する民として整っていなかった。割礼は傷を負わなければならない。その時に攻められてしまったならという危険もあったが猶予の期間が与えられた。エリコの戦いの時も礼拝する時間が与えられた。40年間の刑罰、流刑は、背後になにがあったかを承知させる、あいまいにさせない。子供に対しても厳しく叱って改善される方が良い。罪の問題を先延ばしするとかえって子供にしこりが残る、人間関係、厳しさをきちんと教えていかないといけない。14節、15節は人としての神=キリスト、神ご自身がおられる所、そこが聖なる所、カナンの最初の戦いの備えを神がして下さった。まず神を信じること、恐れること、そして進んでいく。教会の行事もこの集いの中に神がおられるという緊張感を持ってなしていかなければならない。家庭の集いの中に神がいらっしゃるか、教会の中、人々との交わりの中にも。」と語って下さいました。

 石井美枝子姉からの質問
箴言21章14節、「ひそかな贈り物は怒りをなだめ、ふところのわいろは激しい憤りをなだめる。」とありますが、もう少し具体的にどういうことでしょうか?」

 それに対して先生は「わいろも良いわいろと悪いわいろがあって、決して0、100ではない。机上の空論で正論だけでは事が動かない。ある時わいろを渡すことで事を動かす人でないといけない。正論だけでは人が回りにつかない、与えるものがない。利潤の供給、具体的になされていかないと。子供と関わることにおいて利潤を与える、利潤を与えられないことを神のせいにしてはいけない。よくよく注意しながら子供が何に価値を見い出しているか、子供が喜ぶものに自分の混ぜ物をしない。なにによってなだめなければならないか。わいろはどのようにだしていくか。親の知恵、それは子供にとって利潤。」と語られました。

 石井姉は3世代同居のおばあさんという立場で、「聖書を学ぶ会」の出席者の中では最年長者ですが真摯にみことばに仕えておられる姿にいつも励まされています。

(茂永 和子  仙台聖泉キリスト教会会員)