同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 教会のために働く者 —

玉城 義

「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(第二コリント 9:7)

 私達の教会では今年3回、若い兄弟姉妹達を中心とした伝道コンサートが行われました。
 彼らはまだ救いを受けていない者達ですが、幼いときから福音の働きに携わり、自分達だけが神の恵みを受けるのではなく、周りの方々にも分け与えてきました。自分達の時間を献げ、福音の働きに従事している彼らの姿はとても励みになります。
 そのメンバーの一人である兄弟は、先日、自分の誕生日の感謝の証をしておりました。大学生になった彼は、他の大学生達が飲酒、喫煙があたり前のようになっている中で、自分自身をどう保っていけばいいかということ、また青年会の中で、大学生活で将来のために何か得られるものがあればいいと話したことに対して主牧先生から「具体的に何をするか決めていきなさい。」とお勧めをいただいたことを話しておりました。それに対して彼は生活面で教会の主牧先生をはじめ、教会の兄弟達が毎週通っているジムに行くこと、教会の働きにおいては教会で行っている野球、フットサル、剣道等のスポーツに真剣に取り組むことを具体的な目標として掲げておりました。
 私は彼の証を聞いて、世の中に価値を置くのではなく、教会を大切にしていくことに感動しました。
 私の家庭では、長男が生まれて1歳と6ヶ月がたちました。長男が生まれる前、主牧先生からヨハネの福音書21章15節〜「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
とイエスが3度ペテロに問われた所を私に語られました。子羊はあなたの子共たちである。あなたはその子供を愛していきなさいと言われました。そのことを月々覚えながら、ここまできましたが、もう一度長男が生まれてから今日までのことを振り返ってみると、果たしてその御言葉に応えることができていただろうか、と考えさせられます。
 教会では、「子供、子供」と言いながら、実際の家庭生活では、家庭をないがしろにしていた部分もあるのではないか反省させられます。また私自身、人格と関わるということに弱さがあり、自分ではしているつもりであっても、子供との距離が空いていたことを感じます。先ほど若い兄弟が教会に重きを置いて目標を掲げ、実際に取り組んでいるように、私も実生活において、家族で共に食事をすること、子供をお風呂に入れること、その時間を勝ち取らせて頂きたく思います。
 結婚する以前の私は、教会にとって大変な重荷であり、苦しませる者でありました。しかし、今こうして神の深い憐れみによって、家庭が与えられ、子供が与えられ、教会の中で活かされています。先ほどあげた若い兄弟達と共にこれから教会のために働く者になっていきたく思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)