同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

だれも働くことのできない夜が来る前に

石井 和幸

「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。」 ヨハネ9章4節

 7月15日、「海の日」ではありましたが、私と家内、子ども2人、そして私の父を加えて5人で、「山側」・・・山形方面へ久しぶりの行楽に出かけました。お昼には、私たち夫婦が婚約中のときに訪れたお蕎麦屋さんに行きました。六年振りに訪れたにもかかわらず、蕎麦屋の奥様は当時、どういう時期にどの席に座ったか、よく覚えていらっしゃいました。実は、奥様は数年前洗礼をうけて、クリスチャンとなりました。店内には、讃美歌のBGMが流れていました。山形では有名な蕎麦屋なのですが、姉妹の姿勢がお店に反映されている様子を目にし、私は胸が熱くなりました。「同労者読んでますよ!真実ちゃんに、謙悟くんでしょ?」姉妹は、私たち家族のことを実に温かくもてなして下さいました。他のお客さんがいるにもかかわらず、最後は店の外まで出で、車が見えなくなるまで名残り惜しそうに送ってくださいました。 午後からは子ども向けの施設で、たっぷり子どもと遊びました。
 ここ数カ月、家内が体調を崩し、私は忙しいのを言い訳に、あまり家内をいたわることをせず、私たち夫婦は子どもたちとの触れ合いも希薄になっていました。(家内が具合悪いのだから、家庭に不備がでるのはしょうがない)と私はひらきなおってしまった部分があり、夫婦間で深く話し合い、調整することをせずにいました。子どもたちは当然、満たされない現状を叫び、訴えていました。不備に対してちゃんと是正をしていなかった自分が示されて、この日は(とにかく家内がやりたいことをなし、また子どもたちとたっぷり向き合う1日にしよう)と心がけました。1日子どもたちと触れ合うなかで、(娘はこんなことを言うのか、息子はこんな表情をみせるのか・・・)今まで知らなかったわけではない子どもたちの姿、気質、様子を見なおしたり、新発見したり・・・というときでありました。今まで自分たちの心に余裕を持たなかった分、見逃していた事柄が随分あったように感じました。
 数日後、私は伝道会の司会を務め、前述したここ数カ月のエピソードを奨励として語りました、集会後、山本光明牧師が私たち夫婦に声をかけて下さり、私の話を聞いて、最後に「あなたが奥さんや子どもを客観的に見ることに長けていたとしても、溺愛できるかどうかなんだよなぁ・・・」とアドバイスして下さいました。次の日、私は(自分は溺愛・・・どんなときも、どこまでも隣人を心の底から愛さなければならないが、愛せるだろうか?できるのだろうか?・・・できるとも。いや、できないときもあるかもしれない。)と、揺らいだ気持ちを抱いていました。しかし主なる神は、ある事を通してはっきり「できる、できないではなく、『やります』と答えなさい。」と示して下さいました。取り返しのつかない日がくる前に、命取りになってしまう前に、命がけで神と人に仕えなければならないことを示されました。
 私たちの教会は、そのように神に献身し、神の最善を求めつづけた器によって建てあげられていることを改めて覚えました。そして、主なる神によって生かされている喜びを表現した蕎麦屋さんの姉妹を思い出しました。
 8月を迎え、娘は幼稚園が夏休みとなり、家族と過ごすことを大切にするときが与えられています。教会の若い兄姉も、いつもとは違った過ごし方をされています。神のみこころを探りながら、喜んで仕える8月になるよう、祈りつつ励んでいこうと思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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