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キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

「へりくだり」への導き

石井 和幸

『主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。』ミカ6:8

 読者の皆さん、今年も宜しくお願い致します。昨年も主の恵みと導きが豊かであったことを覚え、大変感謝しております。昨年、私たちの家庭にて特に感謝であったことの一つは、娘の幼稚園での生活が守られたことであります。
 一昨年の夏ごろ、家庭集会にて、娘をどの幼稚園に入れるかが話題となりました。私はキリスト教の幼稚園に通わせたいという思いがありました。理由は自分もキリスト教の幼稚園に通い、常にイエス・キリストの教えや讃美が身近であったことが良い思い出であったからです。妹2人は私と違い、家からいちばん近いN幼稚園に通いました。その幼稚園は当時市立で、現在は学校法人となりましたが、名前と場所、施設を変えずに運営されています。私は、安易にN幼稚園を選ぶのは面白くない・・・とも思いました。しかし、主任牧師と婦人伝道師はご夫婦で私たちにN幼稚園を勧めました。「真実さんのようなバイタリティのある子どもは、むしろ宗教とは関係のない幼稚園でも問題ない。宗教性は家庭で確立して、早くから社会に出すことも良いのではないか」というお勧めでした。
 N幼稚園に入園した結果、娘は、教会で行われていること、そして家庭にある宗教性についてむしろ意識するようになりました。神の存在、幼稚園では歌われない讃美歌、祈りについて、親に問いかける時がありました。幼稚園では、「体は小さいが、ちょこまか忙しく動き回る。人にない発想をして笑いを取る」等の評価が聞こえて来ます(笑)。幼稚園での出来事、教会での出来事、家庭での出来事が娘にとってはそれぞれ日々新鮮で、いろいろな人が発した言葉、嬉しい事、つらいことを報告してくれる毎日であり、親としてときに感謝をし、ときに警戒を要したり、課題を見せられたりという場でありました。 
 昨年後半、夫婦でなすべきことの優先順位をとり違え、生活のバランスを崩し、家庭、特に子どもに悪影響を与えてしまった時期がありました。(自分の弱さは分かっている。それでもなお私は神に従うんだ)と心で思いつつも、行動が伴わないばかりか、起こってくる出来事に対して後手になってしまう・・・という毎日でした。30数年抱えてきた自分の弱さ、悪い傾向性が、無意識のうちに遂行されてしまう。その事実を夫婦間で問題にせず解決しようとしていないこと、自らの子どもが自らの弱さに巻きこまれてしまっていることを神より示されました。長年持ち続けている自分の主観で自分の思いのままに事をすすめるのではなく、神が喜ばれるように、神のみこころに生きる。そのためには、へりくだって神を仰ぎ、神に伺う必要があることを改めて教えられました。 
 昨年12月の祈祷会にて、自ら進んで祈る兄弟姉妹の姿を見、クリスマス祝会の劇にて、ペテロの救いと自らの救いを重ねて、涙を流して演じる兄弟の姿を見ながら、神に仕える動機は、純粋に「神を愛する」ことなんだと教えられました。「へりくだる」ということは何もしない、控え目に過ごす・・・というのではなく、自分のこだわりを捨てて神の前に導きを請うことであることを、昨年1年の出来事を通して教えられました。同時に小さな子どもへの愛を明らかにし、助けとなってくれた家族、共に祈って下さった教会の先生方、兄弟姉妹にとても感謝を覚えます。今年も、新たな目標に向かって、夫婦で祈り励みたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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