同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

希望が持てる設計図

石井 和幸

「しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」マルコ10:43~45

 私は鉄工場の営業と管理の仕事をしていますが、製作物の図面を用意する際、設計・製図担当者に依頼せず、自分で図面を書くときがあります。(といっても手書きのマンガ図ですが・・・) 大抵は、製図担当が忙しいときか、パソコン・CADでの製図を必要としない軽度なもの、また、自分が客先と打ち合わせた内容をダイレクトに、分かりやすく職人に伝えるために、あえて私が最初に手書きで作図し、後でCADにて正式に製図してもらう場合もあります。
 最近、私が自分で作図する動機の一つとなっているのは、昨年11月に入社したSさんという職人の存在です。Sさんは45歳で、溶接・配管の職人を25年勤めるベテランです。ベテランというと、いかにも自己流、自分の意見を曲げない・・・というタイプを思い浮かべるかもしれませんが、彼の場合は、仕事の内容を指示者である私によく確認をしに来ます。自分の考えではなく、客先の意図するところを捉えて間違えないように、図面の内容や、指示事項を確認し、製作が終わったら必ず「見てもらえますか?」と私を呼びに来ます。 それに対し私は、「Sさん、そんな心配しなくたって大丈夫でしょう」とは言えません。 Sさんは、プロとしての誇りを持っているのと同時に、顧客が不満を抱いたときの怖さを知っていて、私に対し、「客先に納品する前のチェックをしっかり行ってもらう」ことを当然としている。それが「仕事」であると定義しているからです。だからといって、慎重な仕事ゆえに遅いかというと、そうではありません。慣れた、コツをつかんでいる、熟練している仕事は手早く片付け、忙しくなければダラダラと残業をせずに、帰宅します。私や他の職人に対して、建設的な意見を言ったり、ムードメーカーになったりもします。
 Sさんが、自分の思い込みで仕事をせず、客先の要求をきちんと捉えて仕事をする姿、管理者とはいえ、年下の私にきちんと確認を取る姿にはとても教えられています。私も、Sさんをはじめとする従業員の誠実、真実さに十分こたえなけれければならないと思わされます。
 私の息子、1歳半になる長男は、テレビゲームでよく遊びます。その際、自分ではどうしようもない操作、また今の自分の実力では手におえないゲームの内容が発生すると、私や、他の人にリモコンを預けます。そして、画面を指差して、「代わりにやってほしい」といわんばかりにせがみます。ゲームに限らず、自分でしたいこと、助けて欲しい場面の区別が段々とはっきりしてきています。もちろん、長男の意のままにしてはいけない場面もあります。親としては、子どもの発信に対し、しっかり設計図を描きながら対応する大切さを感じています。「棚上げ」であったり、「あやふや」であったりするような反応、子どもをないがしろにするような反応をしてはいけない、親として十分こたえなければならないことを思います。
 また、教会の中に生き、信仰を持って日常生活を送る中で、自分の思い込みではなく、設計図を描き続けてくださっている牧師に聞きながら歩む大切さも感じています。子どもが親とともに生き、親が導く世界のなかに真の神を見出し、家庭と教会のなかに希望と豊かな人生の道標を見出すことができるように、まず親である私たちが、主なる神のみ旨を取り違えないように、祈りつつ励んでいきたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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