同労者

キリスト教—信徒の志す—

Q&Aルーム

質問してみよう「聖書を学ぶ会」—19

 9月の聖書を学ぶ会、申命記26章が開かれました。4章44節から26章までモーセがイスラエル人の前に置いたみおしえ、さとしとおきてと定めについて書かれていて、いよいよカナンに入ろうとする前に語ったものです。期待しながら来たが第一世代はカナンに入れないという神の厳しいさばきがあり、罪の刈り取りをしなければなりませんでした。自分たちのさばきを受け取ることができるか。開き直って荒野で滅びるんだといいながらどうすることもできないとするのか、それとも自分たちの愚かさのゆえに神がさばかれたことを子供たちに孫たちに伝えることができるか。そして神の祝福を受け取ることができるか、それはどう反省するのか、振り返るのか、どう建設するのか、神を信じる信仰によって生きるのかと今も問われています。中途半端に生きるのではなく完成させていただきたいと願いますと語られました。

 高校2年生の齊藤栄姉から「私は教会の中で多くの御用をさせていただいていると思いますが忙しさが重なり思うようにできなかったりするとき、こんな思いでしていいんだろうかというときがあります。そういう時はどのような気持ちでしていったらいいんでしょうか。」と質問がありました。
 それに対し先生から、「それは人生そのもの、白黒つけてすっきりしたいがそれはない、それは神のシステム、どちらを選んだら幸いということはない。しかし早くからそのことをしているのは有効、普通だったら働き出してだんだんとそのようなことを考え、悩んだりすると思いますが5年早くそのことがわかるのはプレゼント。結婚は大きな選択、就職もわかってするのとわからないでするのとは大きな違い。積極的にここで私の役割を果していこうと取り組んでいったなら5年後10年後に圧倒的な差が出ます。しかし、悪い心を持っていたままではいけないし、前から何度か話しているようにその年齢が来て間に合わないということがないように、年齢に呑込まれないように進んで行ってください。」とお勧めがありました。

 若い方々の成長、またそれぞれの成長が願われています。

(執筆担当 茂永 和子  仙台聖泉キリスト教会会員)

Valid XHTML 1.0 Strict