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質問してみよう「聖書を学ぶ会」—28

 毎月1章ずつ学びがなされている「聖書を学ぶ会」ですが、申命記が終わりヨシュア記に入りました。

 ヨシュア記は歴史というよりも大きな4つのくくりになっていて
  1.カナンの地に入って行く 
  2.戦い取る 
  3.分ける、分割 
  4.ヨシュアの最後の説教 
となっています。ヨシュアにとっては大きなモーセの後を継ぐという事はあったが実際何をしなければならないかは語ってこられた。
1章2節「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。」カナンの地に入って行くための準備。
時を知る、備えをする、そのような感覚を自ら持つことができるか、コントロールしていくことができるか。時間があるからないからではない。一つ一つ整えられていく時、時間の管理もなされて行き大きな差となる。後継者ヨシュアを信じる、否、神を信じる。新しい世代の使命、荒野をさまよった40年よりも大きな働きをすることができる。民を整えていった、着々と。私たちも物を考える考え方、いつも振り出しに戻って始めようではなく神を信じて進んで行こうと。信仰が継承していくならば豊かに私たちの教会もお証しをしていくことができる。すべては神の約束のことばによって始められている、それを信じていけば良い。私たちも何かを始めるとき、お約束のことばをいただいてから始める。ということを語って下さいました。

 

 「ヨシュア記1章12節からあるようにルベン人、ガド人、マナセの半部族がヨルダン川を渡って共に戦った後、約束された所有地に戻って来るまでの期間はどれくらいだったのでしょうか」と質問させていただきました。「そして妻子は渡って行かず留まっていたとあるので何年かして戻らない家長がいたりと自分の立場と重ねるとやはり大変だったのではと思います。」

 それに対して先生は、「どれくらいの期間だったかは、初めは全体で戦い、後は部族ごとの戦いとなっていくのではっきりはわからない。ただ人数は極端に減ってはいない、与えられていた地は残された人々をも十分にまかなうことができたと思うし、今私たちが愛する者を失うということとは数段に違う覚悟を持って生きていた。昔は人生50年、今は医療が進んで長生きできるようになった。私たちも明日何が起こるか分からない、自分を嫌っている人にある時助けてもらわなければならないかもしれない。夫婦喧嘩もしてもいいけれど生きるか死ぬかという時にそれどころではない。子供が一人で生きていかなければならないということが起るかもしれない、だから何があっても困らないように、生きていけるように親は子供にきちんと神を畏れ生きることを教えていかなければならない。」と語って下さいました。

 大切なメッセージが語られ続けられています。

(茂永 和子  仙台聖泉キリスト教会会員)

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