同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 救われてからの自分 —

森田 忍

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(マタイ 1:12-13)

 私は2011年7月7日に救いの恵みに与りました。あれから2年が経ちました。ここまで神様に守られていることを感謝しています。
 私が救われるキッカケとなったのはミルフィーユのコンサートの時でした。私はバックバンドのドラムでコンサートに参加していたのですが、とある曲になると私は涙が止まらなくなってしまいました。その曲の際中に、神様が私の背中をポンと押してくれる感じになりました。
 その夜山本盡子先生からメールが来ました。「あなたのその涙は何の為の涙ですか?」というメールを頂き、私は山本嘉納先生のもとに行き、いままで私が犯してきた罪を告白して悔い改め、神様の前に出て、イエス・キリストを信じました。そしてこれから教会で神様と共に信仰生活を送ることを嘉納先生のお祈りと共に誓いました。そして木曜日の祈祷会で教会の兄弟姉妹の前で救いのお証しをさせて頂きました。多くの方々から「おめでとう」という声や涙ながらに「あなたが救われてくれて本当に感謝です」といった声もかけて頂きました。この時、私は多くの方々が私の救いについて喜びを持ってくれていると感じ、この教会が目指している信仰の継承というものが大事なんだと思わされました。
 私の教会では多くの伝道活動を行っています。特に今年は音楽のコンサートを通じて少しでも多くの人に神様の事、教会とはどういう所であるのかということをお伝えするために、数多くのコンサートを行っています。特に私より年が下の兄弟姉妹達が多くの時間をさいて伝道を行っている姿を見て私は感謝を覚えます。今の時期、自分のしたい事、やりたい事が頭の中を先行してしまう年頃の若者達ですけれども、彼らはその時間を教会の為に、伝道の為に、励んでいる事はこの教会が大切に守ってきた所です。
 春先に行われた教会キャンプで、私が参加したクラスの中で学んだ中で、「若いころは強制されてやらされることが多い。この教会での役割を自分の心の中で強制ととらえるのではなく、自分の意志で受け入れて行う時、恵みに与る」という話がなされていました。この話を聞いた時に、自分が救われた状態と同じであると思いました。今私は、今後救われる兄弟姉妹が神様によって与えられる事を祈っていきたいと思っております。

 

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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