同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 息子達の受験を通して —

森田 心

「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。」(2コリント 9:10)

 冒頭の御聖句は今年、私に与えられた箇所です。神はこの所まで私のような者にも豊かに種を備えて下さり、用い続けて下さいました。そして今年、まもなく50才になろうとしています。体力的には努力して衰えていかないようにがんばっていても、やはり息子達にはかなわなくなってきました。ですが、信仰者として神より、更に豊かに蒔く種を与えていただいて、義の実をいただくことができるように進ませていただきたいと願って歩み出しをはじめました。
 若いときには、今やっていることが後にどうなって形作られていくのかを分からずに、ただがむしゃらに、又的を得ていないようなこともありましたけれども、年を経て、少し振り返ってみますと、信仰をもって歩み出す時の大切な営みは、根底に神の教会を愛し生きようとする者に、その者の技量や知恵のたらなさを神は充分に補って下さり、豊かに、進むべき道を備えて、必要なことを教えて下さるということを、経験の内に知ることができ、そのいつくしみと恵みを数えてみる者に、感謝の涙があふれてきます。
 今年というより、これからという信仰の目標を持たせていただく時に、何よりも3人の息子とどのように向き合い、何を教え、示して行かなければならないかが、常に私の内にあり、だからこそ、私自身が神の前に正しく生き続けて行くことが問われ続けています。
 今年、2男と3男は進学の為、この2月と3月、受験をして新しい道へと進んで行こうとしています。ちょうど1年ほど前、2人に、受験の中に入って行くけれども、この期間の中でも、神の働き人として与えられている働き、そしてこれから用いられる御用があるならば、それは尊い働きであるので、大切に向かって行って欲しいと話をしました。受験の為、そこを通過する大切な時期に目標とする学校へ入るため、多くのやりたい事を置いて、達成の為に集中しますが、私はこの時だからこそ、神の働きを休んではいけないと話をしました。若い彼等にとってジレンマの多かったことを感じました。同じ日に大切な事が2つ重なった時に、私はどちらを取るか決定しなければならなかったことがたくさんありました。子供達以上に私自身が揺すぶられた、弱さを思い知らされました。受験という一つの戦いはまもなく終わろうとしていますが、この選択は問われ続けていきます。見失わないように強く立っていくことが、いよいよ私の前に置かれています。信じ待ち望みつつ、歩みはじめて行きたく願っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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