同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

神が導き給う備え

石井 和幸

「私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、私の頭に油をそそいでくださいます」詩篇23:5
「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」ペテロ第一の手紙5:6

 昨年末に私が勤める会社・・・石井商工の工場長を勤めた叔父夫婦が退職し、その住居であった部分を新しい事務所として改築する工事が、3月に終わりました。「落成式どうするんですか?」1月の末でしたでしょうか、教会の主任牧師が私に問いました。石井商工は、クリスチャンである私の祖父の代から続く企業で、かつては例えば、新しいトラックを購入した時に、会社に牧師を招いてお祈りをしていただいたこともあったと聞いています。しかしここ最近は何の神事、儀式もないままここまで来ていました。そのような中、落成式の打診があり、私は「もちろん先生お願いします!」と答え、形式は主任牧師にお任せしました。
 3月24日の朝、始業前に工場の従業員が新しい事務所に集合しました。山本 嘉納牧師と盡子婦人伝道師をお招きし、春休み中アルバイトとして来ていた山本 守兄、山本 咲姉、山田 保兄も加わっての新事務所落成式です。「神より生まれし者よ」讃美歌が歌われました。従業員含め総勢16名の出席者のうち、教会員である9名によって讃美を導くことができ、大変感謝でありました。詩篇23篇全体が朗読され、牧師よりメッセージが語られました。「初代社長である石井 清兄は、教会が開宣し会堂が建設される際、教会といっしょに土地を購入し、教会の隣に住んで石井商工を営んできました。神の事業として神の導きを請い、その信仰が現社長である石井 矗兄、そして和幸兄に受け継がれています。従業員である皆さんも、神によって導かれたクリスチャンの事業に加わっておられます。今回こうして神は詩篇23篇5節にありますように、豊かな備えを成してくださいました」と牧師は明確に宣言されました。(今の石井商工は「クリスチャン企業」と胸を張って言えるような状況とは言えない・・・)と思っていた私に、神は牧師のメッセージを通して、改めてチャレンジを与えてくださいました。式は最後に牧師にお祈りをしていただき、主の祈りと記念撮影で終わりました。 
 山本嘉納先生は、随時石井商工の仕事をお手伝いいただいています。石井商工の従業員に、そんな牧師に関心を持って接しているSさんという人がいます。Sさんは、落成式の際に牧師の右隣に立ち、先生のことばに一生懸命耳を傾けていました。彼は式が終わるとすぐ神奈川の現場に移動し、一週間ほど出張しましたが、帰社すると「和幸さん、たまに日曜日の工事を入れているけど、いつまでも「日曜日の工事もやむを得ない」なんて言ってられないのではないですか?」と私に問いかけました。教会には足を踏み入れたことのないSさんですが、彼のことばを通しても、会社の宗教性を構築する鍵を握っているのは私自身であることを示されました。
 さて、工場長夫妻の引退にあたっては、時間をかけて、そのことに向けての取り組みを進めなければなりませんでした。工場長の仕事は、それを整理するのもなかなか難しいようなものでしたし、工場長は私の叔父でもありますから、工場長の職を引退したとしても、ずっと私たちのアドバイザーとして会社に残ってくださるものだと思っていました。しかし、思いもよらず、完全に引退されるということになり、彼が行っていた仕事の引き継ぎをはじめ、いろいろな手続きが必要になりました。社長と工場長の間に立って手続きをしなければならないことも多くありました。これからその取り組みを始めるという時に、主任牧師は『お互いにとって、関係する人たちにとって、皆に徳が立つように、事を進めていきましょう』と言われました。私は「徳が立つ」ということが実際どういうことなのかイメージがわかず、分からないままでのスタートでした。取り組みが進む中で、雑用が増えてイライラしながら接してしまったり、ある一つの推測や主観を吟味せずに不用意に用いたり・・・注意や思慮が足りず失敗をして、牧師から「社長に対し、また工場長に対し、そんなことばを使い、そんな態度をとってもらっては困ります」と、注意を受けたり、「あなたの苦労はわかるけれども、なぜ徳を立てるのとは違う方向に行くのですか?」と指摘されたこともありました。今になってわかることは、徳を立てるということは、愛することであり、思いやる心を持って謙ることが必要
でありました。それによって神が、関わる人格に対して恵みとあわれみを下さり、ときにかなって相応しい導きと成長を与えてくださるという真実を、信じていくことであると、示されています。私には、自分が「こうだ」と思うと、そこから視点を変える事が難しい傾向性があります。そうして、うまくいかない時には最もらしい理由をつけて責任逃れをしてしまいます。そこにあったのは、本当に徳を立てるとは正反対の自分の姿でした。
 一連の出来事の中で示されたことは、このことは「神が備えてくださった」ことであり、私が是正されていくためにも必要な事であったということです。それに加えて、石井商工という事業も「神が備えてくださった」もので、工場長はこの事業を私に託したのだということ、また、父である社長は尚一緒に取り組みながら継承しようとしているということです。私にとっては、どちらも必要であり、大切なことでありました。将来、私もこの事業を、また信仰を持って子どもたちと取り組み、いずれは託していくことになるでしょう。「私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、私の頭に油をそそいでくださいます」という神からの約束を信じ通し、次の世代に継承することが私の課題であります。
 なお、神が豊かに私たちの信仰生活に介入し、是正と成長を与えてくださることに感謝し、祈りつつ歩んでいきたいと思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)