同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

牧会を受ける

石井 和幸

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」(詩篇23:1)
「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」(詩篇49:20) 

 11月3日〜4日、私たち家族4人は、「KGK(キリスト者学生会)東北地区OBの集い」に参加しました。この集いは毎年一回行われている1泊2日の修養会なのですが、今年は家族向けに、ベビーシッターを依頼したファミリーキャンプの形式を取りました。講師にKGKの大嶋重徳主事ご夫妻を招き、夫婦について、子育てについての学び、分かち合いが行われました。講師から語られる学びの内容、方法論は、私たちが普段教会で教えられている内容とほぼ同じでありましたが、このキャンプで、2つのことが強く印象に残りました。
 一つは、講師である大嶋主事ご一家の姿勢です。物事に敏感である姿勢、参加者に対する適切な配慮、参加した子どもたちとも楽しく交わることを喜んでいる姿、そして、神と家庭に対して常に畏れと緊張感をもっている姿が印象に残り、私たちは主にある同労者との出会いを喜びました。また、家庭における「秩序と緊張感」がいかに大切であるかを、自分の教会とは違った場所においても学び、確認できたことも神に感謝いたしました。
 もう一つは、「牧会を受けること」の大切さを改めて覚える機会となったことです。大嶋主事は、KGKのファミリーキャンプをはじめ、様々な教団の修養会・キャンプに夫婦でよく招かれるそうです。その際は必ず自分の子どもたちとは別の講師室を用意してもらい、夫婦で相談に来る参加者に夜遅くまで対応する体制をとられているとのことでした。この話を伺った時、多くの人が自分の教会で家庭のことに関して牧会を受けていないか、受けていたとしても牧会者との意志の疎通が十分にされていない様子を覚えました。私自身も、自教会の牧師に伺う回数が多いときもあれば、逆に、牧師・伝道師ご夫妻がすぐそばにいるにも関わらず、伺うことをしないで、結果として牧会を受けず疎遠になってしまうことが今でもあります。「ここは聞きに来てほしい!」と牧会者が願っているのにもかかわらず、執着しないまま、無関心のまま通り過ぎてしまい、結局神が介入しないでことを成してしまったこともありました。今回のような超教派のキャンプに参加するということは、他教会の人々に、私たちの教会の姿勢や家庭の様子がまな板の鯉のように明らかにされます。普段ちゃんと「牧会を受ける」ことをせず、例えば今回のようなキャンプの場で、いかにも自分の教会で信仰生活をそれなりに営んでいるような態度をしているのは、不真実であることも改めて示されました。
 11月5日、私たちの教会信徒のお宅にて、恒励会(家長会)が持たれました。山本光明牧師から語られるご自身の牧会の歩みを伺いながら、「牧会を受け、従うことができる信仰者、家庭」にもたらされる主の恵みを覚えました。主の前に乗り越えなければならない課題が多くある者でありますが、歩みをともにしてくださる牧会者と主にある同労者に感謝しつつ進みたく願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)