同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

いっしょに行こう!

石井 和幸

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖。それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯はあふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」詩篇23:4−6

 1月13日、教会のレクリエーションとして山形蔵王スキー場に行きました。子どもたちにとっては昨年以来、生まれて2度目のスキー場でした。その日はとても寒い日で、風も強く、子どもが上から滑るにはちょっとなぁ・・・と思うコンディションでした。実際リフトでゲレンデの上に行くと天気が悪く、下の方でミニスキーとそりで滑れれば、それでちょうどいいじゃないかと思えました。家内は「リフトで上まで行こう」と言ったものの、私は子どもたちとリフトに乗って上まで行く決断ができないままその日を終えました。自分自身、思うようにならない一日でした。後日家庭集会で、山本 嘉納牧師、盡子伝道師より「どのように子どもたちと関わり、スキー場に慣れさせ、楽しく過ごしたら良いか、聞けばよかったのに・・・」とお話をいただき、次回にむけてアドバイスをいただきました。
 2月11日、この日も教会のレクリエーションとして山形蔵王にいきました。この日の蔵王は天気、雪質ともにとても良く、まず私だけリフトでゲレンデの上まで行くと、(今日を逃したらこの冬はもうこの景色は見れないのではないか?)と思う程、澄んだ青空と良い陽ざし、絶景の眺望が目の前に広がっていました。(なんとしてもここに子どもたちを連れてきたい!いっしょに喜びをともにしたい!)と強く思いました。まずは少し麓の方で遊んだあと、先生方のアドバイスに沿って、子どもたちとリフトに乗り、自分たちのひざの上に子どもを乗せ、抱えながらゲレンデを滑って、とにかく滑る雰囲気に慣れさせることを目標にしました。そのときに、先生方をはじめ、教会の兄姉方、小学生の姉妹に至るまで、一緒にリフトで上まで行ってくださり、細かなところまで私たち家族のためにフォローをしてくださいました。「無理しなくてもいいのでは?」とか、「いやならレストハウスで休んでればいい」とか言う人はひとりもいませんでした。「真実ちゃんも是非いっしょにリフトにのろう!」「上の景色は最高だよ!」皆さんが異口同音に子どもたちに声をかけてくださいました。
 はじめのうち、子どもたちは「こわい、こわい」と言って、なかなかレストハウスの前から動こうとしませんでした。親である私にとっては自分の方針が揺るがされ、とても迷うひとときでした。私たち夫婦は、(なんとしても子どもたちとリフトにのって、すばらしい光景、世界を体験してもらいたい!)という思い、目標を再確認し、教会の皆さんの助けを頂きつつ、子どもたちを説得しました。そこでまず長男が、家内の「行ってみようよ!」の言葉にうなずき、家内とリフトに乗りました。そして長女は、ゲレンデの上から二人で滑走してくる様子をレストハウスから私と一緒に見守ることにしました。私と長女だけでなく、レストハウスにいた盡子先生をはじめ、多くの兄弟姉妹がいっしょに見守ってくださり、長女を励ましてくださいました。その後、家内や若い姉妹方と一緒に長女はリフトに乗り、「こわい」と言いつつもなんとかゲレンデを滑ることが出来ました。長男はその後、当初あんなにこわがっていたそり滑りを何回もこなし、バランスをくずして転び、雪がかかっても大喜びで「おとうさん、もう一回!」と言うほどになりました。最後には家族4人でリフトに乗り、滑ってくることができました。長男は疲れて私の胸で半分寝ながらの滑走でしたが・・・本当に、神の導きと教会の皆さんの愛を実感した、とても感謝な一日でした。
 帰りの道中、家内が「このままでは中途半端だから、3月21日に家族4人でまたスキーに来よう!」と提案しました。しかし、その日に至るまで、仕事の予定が入ってしまったり、私の足の調子が思わしくなく(スキー靴が履けるのか・・・?)と思われる時期もありました。当日も朝起きて外を見ると吹雪いており、ぎりぎりまで試されたことです。しかし、仕事は父に代わってもらい、足の状態も守られていましたし、天気はなんとかなるかもしれないから、まずは行ってみよう!と、山形へ向かいました。仙台は吹雪だったものの、山形に入ったら曇りの天気で、これならなんとかできそうかな、という雰囲気。実際、標高の高いスキー場はガスがかかっていて諦めたものの、それより麓側のファミリー向けのスキー場で滑ることができました。最初はいつものように、みんなでそり滑りをしました。そして、リフトで上まで行ってみようと言ったところ、子どもたちは「こわい、こわい」と言いましたが、「ゲレンデの上から良い景色を見て、みんなで滑りたい!」という内容を子どもたちに話しました。この日もまず長男が「行く〜」と言い、長女は気が進まないなかでも「みんなが行くなら」という理由で了解しました。リフトに乗ったときは天候も晴れ渡り、抱っこされて滑り降りる楽しさに味を占めた子どもたちは「もう一回!」を繰り返して、私たち夫婦が「使い切れないかも・・・」と思っていた回数券を使い切って尚「また滑りたい!」と言うほど何回も滑ることができました。長女は、親に従って、自分のテリトリーが広がることを実感し、喜んでいました。私が、(ここはちょっと高さがあって娘は無理なのでは・・・)と感じた第二ペアリフトも長女が自分から「乗りたい!」と言い出し、滑り降りてきて、私の目の前で「おとうさーん!できたよー!」と叫び、ピースサインをしました。
 こうして今振り返ると、2月11日、3月21日の両日とも、スキー場について間もなく子どもたちに「いっしょにリフトに乗ろう!」と言っても拒否されるだけでありました。まずしばらくの間、子どもたちにこの一日をどう過ごしたいのか、態度で伝える必要がありました。今回のように、親が「大丈夫だよ!楽しいよ!やってみよう!」と子どもに伝えても、それに応えていくには簡単なようで、実はとても難しいことがあります。それを言った相手を信頼できなければ、恐ろしさが先に立ってしまうでしょう。信頼していたとしても「もしや万一」を考えてしまいやすいのが人間です。まずは「親を信頼して従う」こと、「親といっしょにやってみる」ことが、本当に自分の地境を広げ人生を豊かにすること、ひいては「神の人に従う」ことが「神に従う」ことにつながり、「教会とともに生きる」ことが本当に祝福に満ちたものであることを、子どものうちに経験を積ませ学ばせる必要があることを覚えました。また親である私たちも、自分の都合や思いを優先し、何かと理由をつけて大事なときを逃し、結局家族が一致しないことを「止むなし」としてしまわないように、注意しなければならないことも覚えました。「そのうち大きくなったら」「そのときがきたら信じるよ」…という姿勢ではなく、子どもとともに、今やらなければならないということが大切です。キリストの十字架を仰ぎ、主の前に謙って、主が与えてくださる祝福・喜びが何であるかを問いつづけ、教会を建設していく家庭であり続けるように、今回教えられたことを感謝しつつ取り組んで行きたいと思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)