同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 一番大切なこと —

山田 大

「『善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。』 この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。」
(Ⅰ列王3:9,10)

 この春、上の子が大学3年生、下の子も大学に入学し、私が救いの恵みに与った年齢に近づいて来ました。自分と同じように我が子達にも明確な認罪と悔い改め、そして救いの御業を願う時、いよいよ大切な時期だと思うと同時に、今更のようにそう思っているのではない、この子達が生まれた時からずっとずっとそのことをまず第一に心に留めながら生きて来たのだ、そして神は必ず私達のその取り組みを覚えて憐れんで下さる、と神に信頼しつつ畏れかしこみつつ歩み続けております。
 子供達が与えられた時から、私たち夫婦が願い続けて来たことは、勉強もスポーツも音楽も、そういったものには何一つ優れていなくて構わないから、真実であること、謙遜であること、従順であること、そのようなことに優れた者であって欲しいということでした。そして、それは同時に私自身の価値観であり、人としてまた信仰者として一番大切なものではないだろうか、と思いながら生き続けて来ました。そういった言わば「人格的なもの」、神と人との前に持っている性質、というものに最上の価値を置いていました。 そのような私にとって、冒頭の聖句の中でソロモンが神に祈った事柄は果たして最も良い答えだったのだろうか、何故彼は神への真実な心や従順な心を求めず、知恵や判断力のようなものを第一としたのだろうか、とずっと心に引っかかっていました。
 しかし最近になってソロモンのように民全体を導く責任感、特に神の民を委ねられた者としての使命感に共感出来るようになって来ました。長年教会学校の青年達のクラスを担当させていただいておりますが、この春には3名の「新入生」が加えられ、大学生年代の青年達6名を受け持っています。ソロモンとは比ぶべくもありませんが、私にとっては「おびただしい」数の生徒達です。我が子を初めとして、愛する教会の若いたましいを真の救いに導き、信仰者として教会建設者として立って行ってもらうためには、私の側に知恵や判断力が非常に求められていることを痛感しています。長年第一に求め続けて来たものを捨て去るわけではありませんが、今現在は私も礼拝で話題に上った「宗旨替え」と言わんばかりに、まず第一に知恵が与えられるよう祈りつつ取り組ませていただいております。
 そんなソロモンも晩年には負の刈り取りがありました。平和友好的な外交政策のために諸外国から娶った妃たちと共に異教の偶像の数々が入り込み、大きなつまずきとなったのです。神から与えられていた知恵や判断力ですが、どこかでその用い方を誤ったのです。どこかに分岐点があったのです。そこを逃さずに間違わずに進むためには真実、謙遜、従順といったものが必要となって来る時があるでしょう。
 今現在、神の使命に立つ者として一番大切なものを示され、それに従って歩み続けています。そして今後、本当に大切な瞬間、本当に知恵や判断力を必要とされる瞬間に置かれることもあるでしょう。その時に決して間違うことの無いように、これからも絶えずへりくだって、神が置いて下さった導き手に従順に、そして神に真実に歩み続けたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)